幼稚部アドバイザーミッション

2018年7月16日 10:00-13:00

リュックでの登園

10時の幼稚園が開く時間になった。先生が登園し、鉄格子を解錠する。先生は2名で、1名は産休明けだそうだ。友人からはとても熱心な先生たちだ、と聞いていた。

黒板には、前回の授業(これは授業だ)の内容であるコップ、りんご、椅子の絵が描かれている。算数だろう。子どもたちが次々に登園してくる。後ろにある棚に、それぞれのリュックを自分たちで収納する。先生たちは手伝わない。

そのかわり、先生たちは2×3mほどのラグを黒板の前に敷き、後ろにプラスチック製の子どもたち用の椅子を無造作に並べる。子どもたちは、恐らくランダムに座っている。年齢層は年少から年長までで、1つの教室での混合クラスだ。窓ガラスはところどころ割れているが、ダンボールで補修してあり、とりあえず子どもたちが手を切る心配はなさそうだ。

幼稚部自体は、1月から始まったと言っていた。前はどこかの教室が使っていたのだろう。ここもエクストラの収入になるようだ。30人くらいの子たちが入り、ぽつぽつと遅刻組が登園するが、保育自体は最後の園児を待たずに始まる。クラスの点呼はない。Hello Hello Childrenとリズムよく先生が呼ぶと、Hello Hello Teacherと子どもたちが返す。

ハロー・ハロー ティーチャー

教室にピアノはない。電気もない。その中で、体操が始まった。友人が携帯をとても小さな充電式無線スピーカーに繋ぎ、タケノコ体操の音楽をかける。前にボランティアで来た日本人保育士が教えたようだ1。続いてエビカニクスが流れる。子どもたちは慣れたものだ。音楽に釣られて小学生たちが窓から中を覗いている。幼稚部に兄弟がいる子も多いらしい。自分たちの授業は終わっているが、幼稚部が1時に終わるまで、ずっとここで待機しているという。それが終わると、掛け合いのある歌が始まった。日本でいえば、幸せなら手を叩こうに子どもたちが乗る感じに近い。歌詞は現地語だが、先生の動きでわかる。とはいえ長い。10分くらいずっと歌ってる。あ、歌い手の先生が交代した。またこの歌の続きだ。

ひとしきり終わると、今度は先生が長い棒を取り出し、黒板の横にあるa,e,i,o,uを指差し発音する。子どもたちは続いて発音する。教室の横へと先生が移動し、色紙が貼られた箇所をそれぞれ指差し、Red, Blueと指示する。

1⑥たけのこ体操を教えたのは、日本人保育士▶元日本人幼稚園教諭。JICAとは一切関係ない短期ボランティア(3日間)です。

壁にある数字などを歌に乗せて読み上げる

説明はニャンジャ語だが、色の学習は英語だ。教室の後ろに移動すると、丸、三角、四角が吊り下げられたモビールを指し同様に答えさせる。再び教室の前に移動すると、Days of The weekという表題の下に芋虫と葉っぱの描かれた手作りパネルで何かを説明した。今日の授業の中でこれが一番謎だった。

説明が終わると太陽や雲が描かれた紙を子どもたちに見せていた。ザンビアでも天気を教えるのだな、と共通点を見つけ嬉しかった。すると先生が、児童たちに外に出るよう指示をした。今日の天気を実際に外で見せていたのだった。ザンビア版、体験型学習だ。これは新しかった。教室に戻り再び子どもたちを席につかせると、Task Chartと書かれた別のボードで何か話している2。一日のルーティーンの説明だろうか。ここで第一部が終わった。

トイレ待ちの列

先生は子どもたちを屋外のトイレに連れ出す。小学生と共用のトイレだろう。フェスの仮設トイレのようなものが2つ並び、子どもたちは電車ごっこのようにひっついて列を作っている。時折先生が押すなと声を掛けていた。

トイレを済ませた子どもたちは、自分たちで教室に帰る。途中、日本では怪我防止の観点では適さない順路であろうが、これが歩けないようなら整地されていないザンビアの道路はまともに歩けないだろう。日本の過剰さの方が気になってくる。ザンビアに転勤できないような子を育ててどうする。

子どもたちは教室に帰ると、もう一人の先生が待機しており、入り口近くに設置された大きなプラスチックタンク(蛇口つき)に貯めた水で手を洗わせていた。こちらでも手を洗うのが面倒な子がいたのが面白い。先生たち、良いコンビネーションだなと思ったが、どうやらいつもは違うらしい。先程、PC室の鍵を借りに行く時、責任者がとても厳しい目で部下の報告を受けていたことに関係している。

2⑦Taskchartは役割決めで、子どもたちからはドアを締め係(ドアの絵)と、おつかい係(封筒の絵)のふたつを出します。他のお掃除などはメイドさんがやるよーとか、目を向ける方向は先生だよーとかです。毎日やるほどではなさそうだけど、毎度やってます。(笑)

最初はサボった学生を叱責しているのかと思ったが、そうではなくメイドが休むという報告だったようだ。いつもはメイドがトイレに連れていくそうだが、今日は仕方なく先生がやっているということだった。先生は園で掃除をしない。トイレにも連れていかない。この国ではそういったことはメイドの仕事だ。近くにあるゴミですら、メイドに拾わせたりすると聞いた。

子どもたちはそういった大人の姿をじっと見ている。確かに公衆衛生の学習という意味では非常に良くない。そしてゴミ問題はこの国でも深刻だ。だがここは階級社会。余所者が外から批判したところで何の意味があるのだろう。そして、最近日本でも掃除などに関する保育士の分業制度が導入され始めている。新しい秩序を作りだせるのか、それとも単にザンビアのような生々しい階級社会をシュガーコーティングするだけなのか、注目するべきである。

引き算の授業

子どもたちが全員戻ると、設定保育が始まった。今日のテーマは引き算だ。4つのボトルから2つのボトルをひいたら2つになることを説明している。その他、鉛筆とボトルキャップで同じようなことをしていた。

15分くらいすると、子どもたちが飽きてざわつく。その度にHello Hello Childrenと呼びかけ、児童に答えさせることで注意をひこうとするが、それも2,3度繰り返すといよいよ収集がつかなくなってきた。

昨日、校長が数の教育について力を入れたいと言っていたが、このままだといよいよマズい方向に行きそうだ。この黒板授業はかなり問題がある。今回は、保育に対するアドバイスが大きなミッションとしてあるが、継続的に関わることのできないこの学校に何を残すことができるか、考えを巡らせる。

やっとこの授業が終わって、子どもたちが自由遊びになったところで先生と話す機会を持つことができた。先生は、むしろ自由遊びにさせている方を気にしていた。自由遊びから学べることもあるのだ、と言い訳のように話す。教育時間に当てなければいけないのにサボっているような感覚でいるのだろう。

むしろ設定保育が長すぎることが問題であり、時間を持て余すなら、自由遊びの物的、人的環境を子ども同士が共同しあえるよう心がけると良いと説明した。日本でいうアルプス一万尺のような遊びをしていたことに感動してムービーを撮っていたので、こういうのがいいんだ、と言った。

そして数の教育について話した。日本では引き算は小学校に入ってから学ぶという情報を伝えた後、確かに幼稚園で引き算を教えても、回答することはできるだろうが、将来のために今はより基礎的なところを学ぶべきであること、そして基礎とは数詞・数字・対象との一致、そして1:1対応の同等、大小を指すことを伝えた。説明はたどたどしかったと思う。何より、新設の試みである幼稚部が、引き算ができる子を育てるという保護者や校長の期待に背くのは難しいだろう。我ながら今の段階では、あまり意味のない説明のように思えた。

13時過ぎには校長を交えた面談が控えている。2日も移動時間をかけてここの支援に来たからには何か変えていきたい。自分には何ができるだろうか、と考えた。結果、先生たちに伝えたのはこうだ。数の勉強を黒板でするなら、クラスを年齢別に分けないといけない。何より、40人クラスで2人の先生は子どもたちも安定しない。校長にはもう1つクラスを空けるよう伝えていきたい。

ただ先生の話では、幼稚部と聞くと配置を嫌がるとのこと。私はできない、と私にはできない、という理由で先生の成り手がいないそうだ。今日の会議での一番のポイントが定まった。先生の確保にむけての広報だ。ザンビアの将来のためには幼児教育の充実が何より大切なこと、今ここにいる先生たちの取り組みが素晴らしいことを校長に猛プッシュで行こう。

幼稚部改善会議ミッション

2018年7月16日 13:00-15:00

今日は子どもたちのお迎えが少し遅い。10時13時ではあるが今は30分を超えている。延長料金などは取っていないようだ。のんびりしている。幼稚部の先生たちは、子どもたちが帰ってから次の日の指導案を書く。思ったよりフォームがしっかりしている。責任者ないしは行政に提出することが厳しく定められていることが予想される。これを書くのは大変だろう。1時間くらいの残業ではないだろうか。

何でも、小中高で残業の制度が違うらしい。幼稚部は子どもたちに手がかかるので、必然的に残業となるが、記憶は曖昧だが中学校は生徒のいない時間でも勤務時間と数えられ、小学校は生徒のいる時間だけが勤務時間だと説明された気がする3。そのため、残業を嫌う先生は授業中に次の日の指導案を書いているそうだ。とんでもないことだ、と友人は怒っていた。

先生にこれを書くのは大変だろうと聞くと、元ネタがしっかりあった。行政からこのセメスターはこれを教えなさい、ということがかなり詳細に書かれている。行政版○育の友、プリ○リといったところか。さらに子ども向けの教科書があるらしく、それを見せてもらった。数はpre mathematicsと題名され、ザンビア教育省の文字が書いてある。

注目すべきは教科書の裏面だ。UNICEFのロゴとマーク。少しカチンときた。ザンビアの教育が後進的なのは仕方ない。だが、こんなモデルを推進している母体はコイツらなのか?世界中にこれがスタンダードとして撒き散らしているのか?慌ててgoogleでウェブを検索するが、ぱっと見ただけでは該当するところが見当たらない。先ほどのUNICEFロゴのあたりをもう一度よく見てみると、supportedだったか、全面的にはコミットしていないようにも見える表記だった。全面主導ではなく、薄い支援という意味かもしれないし、ザンビア政府がUNICEFの代紋を使いたがっていただけかもしれない。

友人はこの教室を会議仕様に設える作業をしている。日本茶と各人用のコップをドミトリーから持参し、日本のクッキーと抹茶味のチョコレート、そしてせんべいを人数分置いた。この時間のために色々と準備してくれたことがありがたい。また同時に、自分に与えられた責任を感じる。

準備も終わった頃校長が来て、皆着席することになった。校長はPTAの葬式があったらしいが、この時間のために調整してくれた。礼を言うと、この時間の方が大事だ、と言ってくれた。皆口々に園児用の椅子は座るには小さい、と不満を言っていたが、私の園では保護者も含め普通に皆座っていたので、意外だった。ひょっとすると日本でも自分以外そう思っていたのかもしれない。

席の配置は、日本人とザンビア人が交互になるよう先生から提案がある。提案は良いのだが、ブラック、ホワイト、ブラック、ホワイト、と指示して笑っている。反応しづらい。会議中にも、手のひらは白いのに腕は黒いから消しゴムでどうたらとジョークを飛ばしていて、笑っていいものか本当に困った。友人はゲラゲラ笑っている。ブラックについてのブラックジョーク、ピュアブラックジョーク。ザンビアの人たちは、こういう事は全然気にしないそうだ。自分たちでも頻繁にこういうジョークを言うらしい。まあ、アメリカでもそうやって彼ら同士で言い合うと聞くし、反応しないのが無難だろう。

3⑧先生の勤務時間ですが、あくまでうちの学校はといった感じです。ほかの学校で2時間だけとかの働き方聞いたことないですし、おそらく学校ごとに決めてるんだと思います。でもどの学校も政府からお給料は支払われているので、金額は基本おんなじです。(GCEクラスを持つと教科分だけ変わってきますが。)まあ、学校にいても日本とは違い自分のクラスの仕事以外ないので、それを持ち帰って好きな時間にやるか、拘束された時間にやるかなので、効率いいのは持ち帰って好きな時間にやるかなのかなー。日本の新しい働き方のベンチャーとかが好みそうな働き方ですよね😂

お菓子をボリボリ食べるとかなり場が和んだ。そういえば昼食を取っていなかった。せんべいおいしい。先生たちにも意外に好評だ。抹茶味って、結構好き嫌いが多そうだが、外人に対するヒット率は高い気がする。皆好きだと食べていた。途中で先ほどPC室の鍵を管理していた責任者もやってきた。恰幅の良い女性だ。ナンバー2だったと思う4。ひとしきり挨拶した後、ずんとプラスチックの椅子に座った。椅子は耐えている。目つきが鋭く、迫力しかない感じだ。この人が口を挟んできたら面倒なことになりそうだ。だが、意外にもほとんど口を開かず黙って聞いているだけだった。参加者は校長、No2、幼稚部の先生2人、友人と私だ。

好奇心旺盛な校長

校長は好奇心が旺盛だ。園の規模は何人だ(これは昨日も聞かれた)、先生は何人だ、保育料はいくらだ、と聞いてくる。私の園は90人定員だが、こちらでは幼稚部だけで90人というのはかなり大きい印象のようだ。日本では中規模だと思うが、巨大な園と捉えられたかもしれない。まあ階級社会だから大きく見せるのはいいことだ。

先生の数の話になったときは、すかさずここは人が足りない、とねじ込んだ。教室は、先生が産休から戻ってきたこともあり、また9月だったか2クラスに分かれる予定だと教えてくれた。保育料の件では、日本をずいぶん羨ましがっていた。自園も黎明期はお金がなく、行事を行うのに在り合わせの物を使っていたことを話し、この学校がそういったモデル校であるからこそ、ある物の組み合わせで工夫する校長の手腕にとても期待している、と話した。

日本では行事保育はどんどん肩身の狭い思いをしているが、先生たちが時間を持て余し、一年中変化のない保育をするくらいなら導入した方が良いと思った。運動会だって、物がなくてもできることを力説した。校長はこれから幼稚部にもPTAを作りたいそうだ。ここの校長、やる気があってとても嬉しい。

日本ではどんな取り組みをしているかを聞かれる。うちの園では保護者会との活動がさかんでないため、少し自信がなかった。園は共働きだから頻繁に集まらないことを伝え、最初は行事での交流などを通して一年に数回からスタートするのも悪くないのではないかという提案をした。友人は、以前にも卒園式を提案していたようだ5。何だかんだで流れてしまったのが悔しいと話す。小学校でも、テストが終わると何もなくいつの間にか学校から姿を消すのだ。校長には、最初と最後のけじめという話はできなかった。伝えたのは、卒業式を終えると、学校に対しての愛情やmissingな気持ちが芽生えること、そしてその子たちが親になって、また次世代が学校に帰ってくることだった。

急遽、自園での式次第を英訳し、それぞれの意味を説明する。先ほど先生と交換したWhatsAppに送った。校長は今は話を理解して覚えているだろうから、今送るよりも明日送って記憶を蘇らせてくれる方が良いだろうと判断した。それぞれ礼を言って解散した。自分に与えられた責任は果たせただろうか。本当は、もう少し学校の得になるようなプチ事業を成功させて、校長に「こいつは学校にとって使えるぞ」という感覚を持ってからの会議にしたかった。ともあれ、今自分にできることはやった。どっと疲れた。ドミトリーに戻って少し休んだ。

4⑨No.2はDeputy head teacherつまり教頭です!

5⑩私が提案したのは、卒業式と入園式です!毎週やるやる言われ続けてたのは入園式でした。結局開催されませんでしたが。。(笑)

夕食 友人邸での家族形態

2018年7月16日 17:00-21:00 *これからちょっとグロテスクな表現が入ります

畑からダイレクトに鍋へ フードマイレージゼロ

夜は、友人の同僚宅にお邪魔させてもらうことになっていた。途中でりんご、バナナを購入し、レイプという地元の野菜を畑から分けてもらった。この野菜、友人はみりんと何かでザンビア版高菜漬けをつくったらしい。後から食べてわかったが、かなり青みの強い味だ。

次はチキンを買いに別の店に入った。胸肉ともも肉と、という買い方ではない。白いコケコッコーを檻から出して、はい幾ら、だ6。うちの園でも飼育しているのだが、当園比で顔が可愛い。当園比で声が可愛い。誤解のないよう申し添えるが、当園の鶏は大好きだ。ただ、可愛いというよりは精悍な感じだ。今、友人の手で両手を縛られ、ドナドナしているのは可憐な子だ。深く考えるといけない。今手記を綴っているときにやっと感情を少し思い返した。

同僚邸に着いたあと、そこにいる子どもたちと遊んでいたら、外で友人が〆終わっていた。その時自分は中にいたのだが、友人はそろそろ始めますよ、と声をかけてくれていた。あの時、果たして自分は本当に外に行く機会を逃しただけだと言えただろうか。チキンな自分がいた?次は私が〆られるか。

Oh..

この家の調理はキッチンではなく、リビングで行われる。まな板を使わず、同僚が包丁でズバズバと野菜を切っている。時々横を向いたまま切っているのが怖い。野菜を切り終わると、たらいに乗せて鶏が運ばれた。熱湯をかけると羽が毟りやすくなるそうだ。

恐る恐る手伝う。友人は鶏の顔で遊んでいた。やはり可愛い顔だ。合掌。そんな気持ちの横で、首だけになったその子の目をびよーんとキツネ目に伸ばし、Angry〜とか言っている。ぶっ飛んだ人だ。だが、生きるチカラが自分は彼女より劣っている気がして、頑張って毛を毟った。焼き鳥はこれからも大丈夫そうでよかった。思ったより、全部取り終わるのは大変だ。偉そうに書いてしまった。あまり役にたってなかった。

6⑪白いコケコッコー(品種改良されたブロイラーチキン)は今回40クワチャでした。

取り終わると、今度はモツを取る手順だ。友人は今回ぜひやり方を覚えたい、と言って友人主導になった。彼女は大分出身、JICAが終わればきっと良いからあげ屋さんが開けるだろう。鶏は魚とは違い、尻から少し切れ込みを入れ、おもむろにぶすっと手を中に入れる。Oh。これか、これか?と迷いながら、ずるずると中身を出していく。医療ドラマのように見えた。これが何でこれが何で、と解説をされるが、お互いの英語力の限界で、時折自分が携帯で辞書を引く。インシュリンが出るとこ、と言われてどこか忘れてしまっていた。昔ランゲルハンス島って習ったな、そういえば。膵臓(すいぞう)だった。ちなみに膵臓はpancreasと言います。君のパンクレアスを食べたいと言うと少し知的に聞こえるかもしれない。

レバーは店で出る形によく似ている。改めて、よくこんな物食うなあ。心臓は、切れ込みをいれるときれいなハート型になった。なるほど、と思う。この家では心臓は父が食べ、それから家族は食事を開始するそうだ。今日は父はいない。職業はアーミーだそうだ。そんな経過で一通り中身を出したあと、解体に入る。ここはこう垂直に包丁を入れて、といったように捌き方の指示を教わり、少しずつ解体していく。まるで母が娘に教えてるようだ。穏やかな時間が流れる。なんだかとても良い時間を見学させてもらった。最後まで友人は捌き終わり、特性のスパイスをふって外の七輪で焼いた。

親が捌いている間、子どもはディズニージュニアのテレビを見ている。ライオンキング©を見ているのだが、こっちの子たちにとってはご近所ドラマなのかもしれないと思うと可笑しい。この家の子どもたちは4人だ。一番上の女の子が中2、小学校4年、1年と女の子が続き、そして2歳の男の子。ついでに1匹の飼い猫も足しておく。

その中でも、末っ子の男の子はまあべたべたに溺愛されている。My babyと呼び母は目尻を細める。時々、1年の子がMy babyと呼ばれるとyesと返事をする。まだ甘えたい盛りなのだろう。母も苦笑している。一方、上の2人はとてもおとなしい。母は調理の間、次々に何かを持ってくるよう指示を出すが、2人とも黙々と従う。

こちらの女の子は、小さいときから包丁を使うらしい。黙ってバナナやりんごを切っているが、とても上手だ。そういえば小学校の時間割にもHome economics(家政学)の授業があった。実学を子どもたちが習うのはとても大事だと思う。勝手な思い込みかもしれないが、子どもたちが黙ってしたがっているのも、どこにも無駄のない母の料理スキルへの尊敬が関係しているのかもしれない。父の背中を見せられない日本の問題にも繋がりそうな予感がする。

そんなことを考えているが、私は猫と遊ぶ係、家政ヒエラルキーの最底辺だ。悔しい。猫は普段可愛がられていない様子で、ここぞとばかりに私にじゃれついてくれた。下の子に至っては、いつも猫を軽く蹴飛ばし、友人から窘められる。ところが、勢いあまってその猫が私の指を引っ掻いてしまい、血が出てしまった。

やはり外国、衛生状態が気になり、すぐに外に洗いに行くことにした。その途中、ふと横を見てみると薄暗い部屋で皿を用意している一番上の子を発見した。何か違和感を覚える。一番上の子だけ、何か扱いが違うのだ。一度そう思うと、これまではただ部下に指示を出していたように見えた姿も、二人への当たりが微妙に違うように見えて仕方ない。

結果、やはり正しかった。調理を終え、皆で食べる時間になってもその子だけ別の部屋だ。どうしてもその子のことが気になってしまう。初めてのザンビアの主食、シマを初体験で平らげ、鶏を食した。こちらはほとんどがキリスト教で、食べる前にしっかりお祈りしていたが、私たちは手を合わせるだけだ。こちらの人にとっては少し簡単すぎる印象を持つようだ。たしかに、天国に旅立った(旅立たせた)鶏にもう少しお祈りをしてから食べるべきだったかもと思う。

夜も8時を超え、まだ日本時間が抜けきらない自分にとっては夜中3時の気分で眠くて仕方なかった。父も帰ってくるし挨拶だけしておいとましよう、ということになった。友人に心配させてしまったかもしれない。父の帰宅で握手だけして帰る。次はここに泊まりにおいで、という言葉が嬉しかった。

ムンバ村最後の夜だ7。二人でてくてくと帰る。話題は、先ほどの1番上の子の話になった。この子だけ、いとこの子だった。母を事故でなくし、父はほとんど構わず8親戚である同僚の家で預かっているそうだ。そういったことはこの国では珍しくない。同僚としては、預かってやってるという想いが強いし、それを上の子もよく分かっている。だからこそ切ない。

同僚が友人に語った話では、ある日、実の長女が泣きながら学校に来たのだという。そして顔が腫れている。いとこの子から叩かれたと長女は言う。そんなことも関係して今のように良く思われていない状態になっている。次の日にいとこの子を見たときは、屈託なく笑って挨拶をしていた。家の中とは正反対だ。友人は本当にそんなことを彼女がするとは信じられないと言った。最初はボタンを一つ掛け違ったせいで、少しずつ広がっていったのかもしれない。それでも、これからも毎日冷たくされる彼女を思うととても悲しい。

この子には、兄がいるそうだが、兄は進学させてもらったようだ9。彼女は学費を工面してもらえるのだろうか。今彼女がいる学校は、この界隈で一番良い学校だという。学力的にはカレッジまで十分行ける実力があるとのことだ。お世話になった身でいながら勝手に他人の家のことをあれこれ思うのは甚だお門違いだが、お互いのためにも彼女が進学して自立していって欲しいな、と願った。家についたのは9時。すぐに眠りについた。

7⑬ムンバ村の最後の夜、、おしい!ムオンバ村です!(笑)

8⑫1番上の女の子Estaは高2です。お母さんの死因が事故かは謎ですが亡くなってて、お父さんが不明だったはずです。

9⑭Esta兄もEstaもVwaali家にずっと生活費や学費を出してもらっていて、先月Esta兄がこれまで生活費も学費も出してもらったのに、結局卒業後働くことをせずVwaali家にお金を一切入れず『友人と生きていく』と出ていってしまい、孝行しなかった兄に対してひどい人だとMrs.Vwaaliはご立腹でした。でも多分、あの家での生活がストレスだったんだと思います。