日本人オーナー孤児院

2018年7月14日 16:00-18:00

この孤児院は日本人が経営しているらしい。街中から空港へと戻る道にあるようだ。先程から少し気分が優れず、車に酔いかけた。携帯をみていたせいもあるだろう。モールにアルコール消毒があったのだろうが、手を拭き忘れた。

今回、夏で汗がすごいだろうと日本から持ってきた顔用パウダーシートで手を拭いた。真っ黒だ。健康と衛生は自分で守らないと、という気持ちと、孤児院に別の菌を持ち込みたくない気持ちがあった。手の汚れを拭き取ると、これは握手のせいかな、と思った。だが、シートのきれいな面で顔をふくと、同じくらい汚れていた。握手のせいではなかったということだ。先程の子たちに冤罪を着せた気分になった。鼻の中も拭き取る。やはり真っ黒。

ようやく車が着いた。大柄の男がようこそ、と迎えてくれた。日本人オーナーはもうすぐもどる、とのこと。土地はかなり広かった。1。おそらく赴任した初の週末で、個人の携帯を買いにきたのではないか、と教えてくれた。

孤児院 スタッフ滞在部屋

人の良さそうな男が案内してくれている。途中、私の名前を覚えている?と聞かれ、持ち前の記憶力のなさがバレてしまった。ごめん次は覚える、と言うと、彼はベクタだ、と答えた。次は忘れないようにしよう。

建物が無造作に点々と建っている。建て増しを繰り返している、とベクタは言う。昼は教室、夜は寝床になるそうだ。壁にはいくつかの教材が貼られ、壁にある正面大黒板は何もなく、入り口横の小黒板にはI am xxx と英語の授業の跡があった。

教室 兼 寝室

50㎡くらいか?その中で60人ほどの子どもが寝ているらしい。子どもといっても、先程と同様大きい。高校生たちくらいの体躯に見える。小さい子もいるが、話を聞くと一番小さい子は5歳くらいだそうだ。いよいよ自分が持っている保育のノウハウはここで何も役に立ちそうにないよう思えた。

今日は土曜の昼だから、皆ここにいるそうだ。東屋になっている屋外のキッチンには、寸胴が一つ。丸太で火をくべていた。これから現地料理のシマをつくるらしい。まだ食べたことのない主食だ。ほどなくして、日本の10kgの米袋の大きさの白い粉をお湯に入れ、豪快に混ぜた。やがて固まり、パン生地のようなものになった。そういえば、栄養士がザンビア人はシマのおかげで栄養は思ったより悪くなかった、と言っていた。シマは単体で食すのではなく、野菜や肉と合わせて食べるからだ。シマはほとんど味がしないのだろう。

シマを作る子どもたち

やがてオーナーが車で帰ってきた。3人の子どもがいて、現地の方?と結婚されているらしい。子どもの名前は日本風だ。顔はハーフの様相。日本語はペラペラだ。この孤児院の成り立ちを説明してくれた。

もともと14年くらいザンビアにいるなかで、事業をしていた。ここができたのは約2年前だそうだ。まだまだこれからだ、としきりに話していた。元々はデイケア型だが、必要に迫られて今の形になったらしい。こちらでは、事業を始めるハードルが極端に低い。小さなところ、小さな資金から始められるのが、日本との違いだ。理想と比べれば小さい規模といっても、60人もいれば金がかかる。育ち盛りの子たちだ。1週間に6万ほど食費がかかっている。日本からの補助は単発で多少あるが、ほとんど期待できず、主に国内からの援助や、自分たちでビジネスをするしかない。1週間で6万とはとんでもない金額だ。

だが、3食をきちんと満たしてあげないと、すぐに逃げ出してしまうらしい。こちらで食うより、物乞いをして自分の好きな物を買う方が良いからだ。好きなものとはなにか。ドラッグだ。おなかがすくと、すぐにドラッグが頭をよぎるようになっている。

食パンは1斤で6クワチャだが、ドラッグは1クワチャ。それで空腹を凌ぐことを考える。先程のサバイブという言葉がますます重い。そのことを話すと、オーナーも、サバイブ、その通りですね、とつぶやいた。逃げる子もいれば、ここに入りたい、と願う子もいる。

ここはもうすでに満杯だ。そんな状況の中、トラックで週に一度だか、定期的にここにトラックでスポットの子を連れてきたり、こちらの子たちを連れて行き食料を配るそうだ。スポットの子はここに入りたい、と言う。そんな子たちには、だめだから、満杯だから、とは言わないそうだ。その子たちの希望となるべきだからだ。だめという代わりに、今もっと広い所を準備するよう計画してるから、もう少し待ってね、と言うようにしているそう(同じことを、ベクタも言っていた)。事実、田舎の方に12haの土地を用意する計画があるらしい。ここは借地で、今は土地の所有者の好意で借りられているが、将来どうなるかもわからない。田舎にいけば土地は安いようだ。忘れていたがここは首都だった。

中庭

ここで先程の疑問をぶつけてみる。食パンよりバナナ、そしてそんな高そうなスーパーで良いのか、と。今から考えると愚問だ。回想をしていて恥ずかしい。だが、あの場にいけば、色んな疑問が出てくるのだ。せめて、こうやって書くことを誰かに見せて、現地の人たちは本当に自分たちの工夫を重ねているのだ、ということを伝えていければと思う。

結論、バナナは食パンの5倍ほど高いらしい。そりゃそうか。そしてスーパーは、機械で大量生産されているから個人単位でやっているマーケットより安いそうだ。そして食パンより安いのがドラッグ、と。

ザンビアでは、予防接種や薬など、基本的な医療は無料だそうだが、レントゲンなどはお金がかかる。無料の範囲が狭い。足にいれるボルトもランクがあり、良いものは高いそうだ。この孤児院でも、有志の看護師を呼んで簡単な予防接種などをしているようだ。椅子に座っている子を指差し、この子はドラッグ漬けで入院していたが、帰ってきたのだ、と教えてくれた。

きっと金銭的負担は重かっただろう。更生のためには、また別のドラッグを使うそうだ。壮絶だっただろう。まだ体がガタガタと震えているが、もうだめかと思っていた分嬉しい帰還だ、とオーナーが目を細めた。ところで、スポットにいた腕を切断した子がいたでしょう、と尋ねられる。本来、手術費用はとても払えない額であったが、なんとか鉄道会社から治療費を受けることができたらしい。折衝をするにも大変だっただろうことが予想される。

3食を満たして初めて、次のステップに進める。子どもたちへの教育だ。小学生くらいなら、主に言葉を教育する。だが、ある程度大きくなった子たちは、自分たちは今さらそんなことはやりたくないそうだ。それよりも手に職をつけたいと言う。車の整備、大工、音楽、などだ。

しかしそんな専門的なノウハウはここにはない。だから職業訓練の学校に行かせている。当然有料だ。オーナーも自分で別のビジネスをして、その稼ぎを突っ込んでいるらしい。こちらの学校は、ランクに応じてかかる金額が変わり、専門的であるほど高いそうだ。

ここでまた聞いてみた。甚だ失礼な質問である。そんなにお金がかかり、こんなに良い体躯の子たちがいるなら、農業で自給自足はどうなのか。芋やとうもろこしなど。もしくは、バナナの自生はどうか、と。現に、小さな畑は作ってみたが失敗したそうだ。また、化学肥料に金がかかるそうだ。こちらで手に入る種子は、化学肥料を前提としているようハイブリッドされている。肥料屋は大儲かりしているだろう、と悔しそうに話す。

また、子どもたちは工場などで雇ってもらうことはあるが、けんかっぱやく上司の言うことを聞かなかったり、暴力事件を起こして辞めてしまうそうだ。食事で脱走の件もそうだが、とかく何か思い通りの展開にはならない。うまくいくだろうと思ったものが思わぬ障害に阻まれたり、逆に思ってもいない良い結果にもなっていくのだ、と説明したあとオーナーはにっこりと微笑んだ。

教育や手に職もそうだが、この子たちの一番の天敵は暇だ。人間暇になるとろくなことにならず、犯罪、ドラッグ、セックスに目が向いていく。若い力をどう発散させるかがポイントとなる。

今日は土曜で教会に行ったあとはだらだら日。日曜はプロジェクターでDVDを流したりもするそうだ。サッカーを教えてみたが、十分な広さがないのと、ゴツゴツした地面でボールがすぐに傷んでしまうとベクタは言っていた。

それにしても、ここで意外だったのが音楽を重視していることだ。ちょっとこっちに来てみて、と言われ敷地内のオーナーハウスの1室に案内されると、意外にもそこそこの機材を揃えた15㎡ほどの小さなスタジオがあった。

最新機材を揃えたスタジオ

作業している現地の男がいて、ベースを抱えてmacをいじっている。私もベースを昔やっていたのだ、と言うとオーナーがじゃあ何か曲を作ってみる?と言われ後悔した。言わなきゃよかった。椅子を勧められ、曲を聞かせてもらった。失礼な話だが、意外に本当に本格的にレコーディングされた曲だった。

最初の曲は、スポットをテーマにした、主に従いnever give upという内容の、日本語訳入りの動画だ。はじめは歌詞を見て、この曲がスポットにいる子の心に残る効果があればいいな、と願う気持ちが強かったが、だんだん楽曲の本格さに対してのギャップに戸惑うようになった。

誓っていうが、今まで事業団体が作る曲で良い物に巡り合ったことはなく、いつもお世辞を言うことに苦慮するのだが、ここで作られた曲たちは本当に出来がよかった。最初は日本の園でBGとして流せるテイストのものを選んでもらい、iphoneにair dropで100クワチャ程度で落とさせてもらおうかと思ったほどだ。とにかくここにいる間は、何かと安っぽいアイデアが出ては自分で戒める。

ザンビアはキリスト教主体でゴスペルで鍛えられているせいもあるのか、裏メロのユニゾンが抜群にきれいだった。少し興奮して書いてしまった。音楽業界はとかく食えないと聞いている。オーナーがここから世界に羽ばたいていくことを目指すのだ、と外で聞いた時、最初は子どもたちに夢をもたせる手段であるのだろう、という理解の仕方をした。ただ、本当にiTunesに乗っける算段をしている話を聞くと、一発はもしかしたら本当にありえるかもしれない、と思った。

その他CMのジングルなども作っているから、日本で需要があればぜひ、とのこと。現金化はいつも苦労が伴い、この院は色んなことに挑戦しているのだな、と改めて思う。これらの曲のシンガーは、ストリート上がりの子を始め、ザンビアに埋もれている教会でゴスペルを歌っている若い才能、そしてこちらに少しの間滞在したボランティアが、即興でつくったものにアレンジを加えていく場合もあるそうだ。そういえばこの孤児院にはコーカサス系の若者たちがうろついている。話を聞くと、将来ボランティアを志す若者向けの学校としてここに滞在しているようだ。この宿代が現金収入にもなっていく。ここを訪れる学生は、気持ちはあるが何をしていいかわからない状態から始まり、少しずつ自分たちの得意分野を持ち寄っては子どもたちと信頼関係をつくっていくというプロセスを経る。

筆者も同じく、ここにいる子たちとすぐに打ち解けたいと思いながら、方法がわからない。オーナーに聞くと、自分自身も信頼関係を作るには時間がかかったのだ、と教えてくれた。事実、最初この孤児院を始める前は、何人かのSTCと話し、次は食料を持っていく約束をし、そこからルサカのスポットを紹介されたそうだ。信頼、自分への一番の課題だ。そんな私と同様?なボランティア学生たち6人は今まさに奮戦している。まだ来て何日しか経っていないが、その信頼獲得の道として演劇披露を手段に選んだ。といっても、練習風景はばっちり皆に見られているのだが。なかなか日本人にはない発想だ。なんとも怪しげなダンスだが子どもたちへの受けはよさそうだ。彼らのひたむきさがすごい。そして同時に、こうしていろんな集合知を取り込める組織の強さを感じた。羨ましいと思った。

こんなにうまくいくようになったのはせいぜい1,2年前からで、やはり地道な活動が実を結んだ、とオーナーは話す。別の活動を続けていくうち、ボランティアの1人が10人へのスピーカーとなりどんどん輪が広がっていった成果だ。斡旋団体とうまくパートナーシップを結び、学生たちが送り込まれていく状態に今はなっている。

スポットでも感じたが、ザンビアって、JICAを多く呼んでいることも然りだがボランティア系のシステムがすごく発達していて、きちんと機能している。人と人とのつながりが面白い国だ、と友人から説明されていたが、途上国への支援に対する、つながりや組織論がとても勉強になる。福祉ネットワークの最前線と言ってもいいかもしれない。

ここには元ストリートの子が人間らしい生活を手に入れ、カウンセリングの資格を取得し、福祉分野でリーダーとなっていくシステムが存在していた。ふと、私が教えていた学生たちの中にも、自分がいた施設に戻って働く学生がいたことを思い出す。

単純にザンビアと日本のシステムの優劣を比較することに興味はない。ただ、あまりに強烈な境遇の子どもたちが目に見える形で多い中にあって、医療物資や援助体制などパーフェクトには程遠い状況に対するしぶとさや執念を感じたことを記録しておきたい。そして何もかも足りないからこそ「ここだけは外せない」ポイントが非常にリアルな形で浮き出ているように思える。

そのうちの1つが先のカウンセリングの技術だ。恐らく日本ほど精緻に学ぶわけではないだろう。大学で心理学の授業を受けたときに、自分自身が患者に飲み込まれる危険もあると言っていたことを思い出す。自分自身のストリート体験がフラッシュバックすることもあるのではないかと想像できる。

だが、ここにいる子どもたちにとって、時期を見て親子対面をすることはどうしても必要であり、そのためには拙かろうと子どもたちを救うためには必須のトレーニングとなっている。多くの子は、虐待を受けていたりストリートにいる間に親に恨みを持ったりと、親子関係に傷を抱えている。そんな中で、最終的には親への尊敬や親への赦しが必要になってくるそうだ。ベクタも同じことを言う。現場の実感としてあるのだろう。もう少し掘り下げて聞けばよかった。

今回の滞在では、自分は何一つ貢献できず、オーナーが時間を割いて勉強させてもらうばかりだった。これ以上時間をとってもいけないのと、万が一夕食を一緒に、といって現地の食料を消費することはどうしても避けたかったので、ここで失礼させてもらうことにした。

友人がいつも使うタクシードライバーにオーナーが電話をかけてくれた。30分ほどでつくはずが、20分くらいでどうやら近くにいると連絡があった。門番役の女の子が鍵を取りに行ってくれた。脱走癖のある子もいるので、鍵の番は決まっている。ところが1時間近くたっても車が見えない。

オーナーが度々電話して道を説明している。そんなに難しい道ではないのだがどうしたのか。どうやら私達と思った人と中国人の他人を勘違いしたらしい。待っている間に、オーナーもまた方向が苦手なことを教えてくれた。太陽が登るのはこっちだけど、こっちが北と思う、と言った。東の90度左側は、常に北なのだが。そんなに難しい地理ではなかったから、空港側が東で、街が西です、と説明させていただいた。すると、空港側から太陽は確かに出るが、ここは南半球だ、私の中ではこちらが西だ、とのこと。完璧に見えたオーナーにも苦手なことがあって少し安心しました。今回はお世話になりました。ありがとうございました。