公益社団法人 全国私立保育園連盟

保護者

「まとめに代えて(1)」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


子どもはいつも大人に認めてほしいと思っています

 保育の場を訪れていつも思うのは、子どもはみんな保育者に認めてほしい、一対一でかかわってほしいと思っていることです。「せんせい、きて」「せんせい、みて」と子どもが保育者を呼ぶのも、何かしてほしいから来て、できたものを見てほしいから来て、ということももちろんありますが、それ以上に、先生と一対一の関係になりたいという場合がほとんどです。保育者はある子どもに呼ばれても、すぐに行ってあげられないことが多いのですが、少し余裕があって、「なあに」と傍に行くと、子どもははにかんだ笑顔を見せて、嬉しそうにします。大好きな先生が傍に来てくれるだけで嬉しい、そばに来てくれると何か自分が違う子どもになったように思える、そんな様子を示します。

 子どもは自分一人では元気な自分にはなれないかのようで、大事な大人が傍に来て、あなたのことをいつも見ているよ、あなたは大事な子どもだよという思いを向けてくれると、それだけで自分は自分なのだ、自分は大事なのだという思いになることができます。これが自己肯定感ですが、この自己肯定感が立ちあがるのを子ども自身が感じることができるためには、保育者が傍にいて、自分を温かい目で見てくれることが必要なのです。

 同じことは、お母さんにもいえます。お母さんが大好きなのは、いつも傍にいて、自分のことを大事に思ってくれるからです。子どもの目から見て、お母さんがどれほど傍にいてほしい存在なのか、どうしてそれほど求めたい存在なのか、この連載ではそのことをまず伝えたいと思いました。第15回は、お母さんがお迎えに来るのを自転車に乗って園庭を何回も回って「今どこまで来た?」と保育者に尋ねるエピソードを紹介したのも、そこに母を求める子どもの切ない思いが凝縮されていると思われたからです。
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 今、お母さん方の中には、自分の大変さをまわりの人にわかってほしい、自分も自分らしく生きたいと思っておられる方がたくさんいらっしゃいます。自分をまず大事にしたいと思うことは、一回限りしかない自分の人生を考えれば当然のことです。しかし、連載第
15回や第16回のエピソードにも見られるように、子どもはこれほどまでにお母さんという存在を求めています。それにしっかり応えることも、保護者として大事なことではないでしょうか。

 初回に、この連載はお母さんが読んで楽になるものにはならないと予防線を張りました。むしろ、お母さんが子育てに難しさを感じてしまわないかという危惧もありました。しかし、こうすれば子育ては楽になる、こう考えればあなたの生き方は肯定される、こうすれば子どもは親の願ったような子どもになる、等々、巷に溢れるわかりやすい言説は、お母さんを一時的に安心させても、人生の糧にはおそらくならないと私は考えています。

 またお母さん方の中には、今はやりの幼児教育について、もっと何かを語ってほしい、幼児教育の進め方や塾の利用の仕方や小学校との接続について教えてほしいと思う方々もいらっしゃったかもしれません。

 そのことを踏まえて、今回の「まとめに代えて」(1)に加えて、次回を(2)として補足的に述べてみたいと思います。

第19回は3月上旬に更新予定です。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。

「まとめに代えて(1)」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


この連載17回の内容を振り返る

 これまで、苦手な連載を何とか17回にわたってお伝えしてきました。これまでの17回を振り返って、各回のテーマを並べてみると次のようになります。

 第1回「わが子は今、何を一番求めているでしょうか?」、第2回「子どもの「できる、できない」から、子どもの心に目を向けるために」、第3回「これまでの発達の見方は、子どもを幸せにしましたか?」、第4回「新しい発達の見方から見えてくるも(1)」、第5回「新しい発達の見方から見えてくるもの(2)」、第6回「「育てる」とはどういう営みでしょうか」、第7回「育てることは、なぜ難しいのでしょうか」、第8回「育てる営みを振り返る」、第9回「心の育ちの中でも信頼感と自己肯定感は必須のものです」、第10回「子どもを「叱る」ことは難しい」、第11回「「褒めて育てよ」といわれていますが…」、第12回「自己主張は大事ですが…」、第13回「「お互いさま」の心の育ちも大事です」、第14回「お母さんの自己肯定感は?」、第15 回「子どもは保育園で頑張っています」、第16 回「「あー、お弁当おいしかった!」」、第17回「子どもは子ども、でも子どもは未来の大人」

 第1回目は、子どもは親の愛情を何よりも求めていることを冒頭に伝えたいと思いました。そこが不十分な場合、子どもは保育の場で決まって心が不安定になるからです。第2回目は、力の育ちも心の育ちも大事だけれども、長い目で見れば力よりも心の育ちが大事だということを強調して、世の中の「力、力」という一般的な考え方に疑問を呈ていしてみました。第3回〜第5回までは、従来の発達の見方が「力が先」という見方をもたらしてきたことを踏まえ、心に目を向けた発達の考え方が大事という自説を主張しました。それは、従来の発達の考え方に「育てる」という視点が含まれていないことの指摘でもありました。

 そこで第6回〜第8回までは、「育てる」という営みの難しさについて保護者の皆さんにも多面的に考えていただきたいと思いました。続く第9回〜第13回は、子どもの心の育ちや心を育てることにかかわって、信頼感、自己肯定感、叱る、褒める、自己主張、お互いさま、をテーマに論じました。これは、第2回で示した連載の方向性とも結びつくものです。そして番外編として、第14回にお母さんの自己肯定感を取りあげました。これは、子どもを育てるうえにも大事なものだと思われたからです。

 第15回では、子どもも保育園で頑張っているので、その頑張りをお母さんに認めてほしいと思って書いてみました。そして第16回はお弁当の日を取りあげて、お母さんの愛情の詰まったお弁当という視点から、連載初回の「子どもが今一番求めているのはお母さんの愛情だ」ということをもう一度ダメ押しをしておこうと思いました。第17回は、本当は第5回の後に入れたかったのですが、内容的に重複するところがあるからと没にしていたものです。しかし、今読み返してみて、捨てがたい中身も含まれているので、落穂ひろいの意味で、ここに入れさせていただいたというものです。

>②子どもはいつも大人に認めてほしいと思っています

「子どもは子ども、でも子どもは未来の大人」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


大人という存在も不思議な捻ねじれを抱えています

(1)大人はみな、かつては子どもでした
 いつ大人になったの?と問われれば、誰も答えられません。お母さんもそうでしょう。大人はみな、かつて子どもでした。今は大人だとしても、みな子どもだった頃の記憶を体に浸しみ込ませています。自分が幼かった頃の記憶は薄らいでいるかもしれませんが、わが子を育てながら、自分にもこういう姿があったのに違いないと思うことがしばしばあるに違いありません。子どもの様子を見て、「そうだね、そうしたかったね」と子どもの思いに共感できるのも、お母さんがかつて子どもだったからです。
目の前のわが子が、まるでかつての自分であるかのように思われることはありませんか?自分に叱られている子どもはかつての私、叱っているのは私の母というように、世代が一世代ずれたような錯覚に陥ったことはありませんか?
 ここに、かつて〈育てられる者〉だった者が、今〈育てる者〉になっているという不思議が現れています。今の自分の子育ては、かつて自分の親が自分に振り向けてくれた子育てとどこか相通じるところがあるのは、〈育てる者〉になった大人がかつて育てられた時の経験を体に浸み込ませているからでしょう。

(2)今のお母さんの願いは、かつて自分の親が自分に向けてきた願いでした
 ここに、お母さんが子どもに振り向ける様々な願いが不思議に捻れる理由があります。早く大人になってという思いは、かつて自分の親が自分に向けた思いでもありました。それに対して、「嫌だ、まだ子どもでいたい」と抵抗した子どもだった自分が、今お母さんになって、「早く大人になって」とわが子に求めているのです。なんという不思議でしょうか。
 そして、「いつまでも可愛い子どもでいてね」という思いを子どもに向ける時、それはかつて自分の親が向けてくれた思いだったと気がつくでしょうし、それに対してわが子が「もう、大きいよ」と逆らえば、それもかつての自分の姿だったと思わずにはいられないでしょう。
 こうしてお母さんは、この連載第4回(2016年月号)の図1の内側の楕円に見られるように、子どもと自分の親とのあいだに挟まれて、子どもの側に引き寄せられたり、自分の親の側に引き寄せられたりと、気持ちが揺らいでしまうのです。
 ですから、よかれと思う自分の思いを一方的に子どもに押しつけて、子どもに聞き入れさせようとしている人は、かつて自分もそのように育てられて来てしまったからか、この世代間の入れ替わりの実体験が乏しいか、のいずれかだと考えられます。
 いずれにしても、子育てが難しくなるのは、子どもという存在も、大人という存在も、一筋縄ではいかない矛盾した面を抱えているからなのです。

第18回は2月上旬に更新予定です。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。
 
「子どもは子ども、でも子どもは未来の大人」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


子どもという存在の不思議

 お母さんもかつては子どもでした。子どもの時に、大人になるとはどういうことなのかがわかって大人になってきたわけではなかったでしょう。また、いつから大人になったのと問われても答えられないでしょう。子ども、大人、というと、何かまったく違う存在のように聞こえますが、子どもがいつ大人になるのか、そこにはっきりした線引きはできそうにありません。

(1)子どもはやはり子どもです
 子どもはまだ一人では生きていけません。どうしても大人の庇護が必要です。小さいし、すぐ病気になるし、基本的生活習慣が身につくまでに随分と時間がかかります。栄養面と衛生面がしっかりしていて、たっぷりと愛情が与えられ、大きな病気にかからなければ、たいていの子どもは元気に育ちます。しかし、そのどれが欠けても子どもはうまい具合に育ってくれません。
弱い存在の子どもが成長していくうえには、大人の優しい働きかけが欠かせません。また、たいていの子どもは大人の愛情を引き出すことができる資質を持っています。小さく柔らかい体、愛くるしい顔つき、天真爛漫な振る舞いなど、お母さんがつい抱きしめたくなる表情や仕草を示して、まわりにいる大人を喜ばせます。
 しかし、それは子どもの一面です。その好ましい面とは逆に、子どもは泣いたり、わめいたり、ぐずったり、いうことを聞かなかったりと、大人を手こずらせる一面を必ず持っています。子どもは可愛いだけではなく、大人に腹立たしい思いを惹き起こす存在でもあります。子育てが楽しいだけで終わらないのも、子どもにそういう二面性があるからです。
 このように弱い存在であって、なおかつ「可愛い顔」と「憎らしい顔」が同居している存在が子どもです。こうした子どもに対して、「児童憲章」や「子どもの権利条約」は、子どもを大事に守り育て、子どもの持っている可能性を最大限尊重するのが大人の義務であると定めています。子どもは大人の所有物ではなく、小さいけれどもれっきとした主体として扱う必要のある存在で、虐待などはもってのほかなのです。

(2)子どもは未来の大人です
幼い子どもは大人に育てられなければ生きていけませんが、でも、お母さんやお父さんや先生に憧れ、自分も同じようにしてみたいと思って生きています。1歳を過ぎると、やってみるとまだできないことでも「自分で」「自分が」と自分でやりたがるのは、子どもが未来の大人であることの証あかしの一つです。2歳の子どもでも、「まだできないでしょ」と大人にいわれると、プライドを傷つけられたといわんばかりに膨ふくれたり怒ったりします。どの子にも、早く大人になりたいという気持ちが働いています。
 しかし、まわりが早くいろいろなことをできるようになりなさいと背中を押しすぎると、僕(私)はまだ子どもだから、もっと甘えたいし、もっとお母さんにしてほしいというでしょう。早く大人に近づけようと焦あせると、まだ子どもだからと子どもの側に引きこもり、子どもの側に押し込めようとすると、もう大きいのだからと抵抗する。ここにも子育てが難しくなる理由があります。
 お母さんからよく、「どこまで甘えさせていいのですか?」「どこで厳しくしなければいけないのですか?」と問われることが多いのですが、その問いに簡単に応えられないのは、子どもが今見たような矛盾した面を抱えているからです。

>②大人という存在も不思議な捻ねじれを抱えています

 
「あー、お弁当おいしかった!」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


お弁当に込められたお母さんの愛情

 仕事を精いっぱい頑張っているKちゃんのお母さんにとって、確かにお弁当の日は辛かったと思います。大変な生活だとわかっているから、Kちゃんもお弁当の日のことをお母さんに伝えられなかったのでしょう。でも、何とか先生がお母さんにそれを伝え、お母さんも大変だといいながらもそれに応じてKちゃんのためにお弁当を作り、できたお弁当が嬉しくて、また美味しくて、Kちゃんのこの言葉になったのでしょう。普段は愛情を伝える余裕さえないような生活でも、お母さんにはKちゃんを可愛いと思う気持ちが十分にあり、それがこの日のお弁当に結びついたのだと思います。

 これは例外的なケースかもしれませんが、お弁当にお母さんの愛情が詰められるというのは、どの家庭にもあることではないでしょうか。温泉に連れて行った、遊園地に連れて行った、水族館に連れて行った等々、子どもが喜ぶことはいろいろありますが、お弁当に詰められたお母さんの愛情は、他の何ものにも代えがたいものでしょう。だから子どもは嬉しいのです。Kちゃんの「あー、お弁当おいしかった!」の言葉は、お弁当が美味しかったことを伝えるだけではなく、そこに詰まっていたお母さんの愛情が嬉しかったのでしょう。

 毎日の忙しさの中で、つい子どもを急せかしたり、思うようにしてくれないと叱ったりと、なかなか子どもと楽しい時間をすごす余裕がなく、子どももお母さんに愛情を求めても応えてくれないと思いがちです。しかしこのようなエピソードを読むと、お母さんも今度のお弁当の日には、子どものために愛情のたっぷり詰まったお弁当を作ってあげようと思うのではないでしょうか。

第17回は1月上旬に更新予定です。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。
「あー、お弁当おいしかった!」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


「あー、お弁当おいしかった!」

 ここで、一つの事例を紹介してみたいと思います。

 Kちゃん(3歳児)はお母さんと二人で暮らしていて、お母さんの仕事は朝が早く、また重労働なので、お迎えの後は祖父母の家で晩ご飯を一緒に食べ、お風呂にも入って、寝るためにだけ家に帰り、朝もほとんどがパンと牛乳だけの生活です。朝一番に登園して、一番遅く帰る毎日なので、お母さんと担任の先生が顔を合わせる機会はめったにありません。

 お弁当の日が決まり、子どもたちにもそのチラシが配られましたが、Kちゃんはお母さんが大変なことがよくわかっているので、そのチラシをお母さんに渡すことができません。そして、お弁当の日が近づいてきて、みんながそれを楽しみに話し合っているのに、その話の輪に入ることができません。そしてとうとう、Kちゃんは先生に「お弁当の日のこと、まだお母さんに話してない、先生、話して」といいに来ます。

 先生はKちゃんのお母さんと最近顔を合わせていなかったことに気づいて、その日はお母さんがお迎えに来るまで待ち、お弁当のことを口頭で伝えました。お母さんは困った顔をされて、「お弁当ですか…チラシがあったんですね、もらって帰ります」と硬い表情で帰られたそうです。

 でも次の日、Kちゃんはニコニコして保育園に来るなり、「先生、お母さんがお弁当作るっていってくれた!」と伝えてきました。そしてお弁当の日の当日、Kちゃんはお弁当を大事に持ってきて、みんなと一緒に食べ、食べ終わると、「あー、お弁当おいしかった!」と満足した笑顔で午睡に向かいました。

 その日も、先生はお母さんがお迎えに来るまで待ち、お母さんが来られると、「お母さん、ご苦労様、お弁当作り大変でしたね。Kちゃん、本当に喜んで、お弁当が終わったら、みんなに聞こえるような大きな声で『あー、お弁当おいしかった!』といったんですよ」と伝えると、お母さんのいつもの硬い表情が少し和らぎ、「先生、本当に大変だったんですよ。しばらく料理なんてしていないし」といいながら、お母さんも嬉しそうで、サヨナラをいって二人で帰る後ろ姿に、先生もほっと嬉しい気持ちになったとおっしゃっていました。

 お弁当の日が、Kちゃんにとってはお母さんの愛情を確かめることのできた大事な一日になったのでしょう。

>③お弁当に込められたお母さんの愛情
「あー、お弁当おいしかった!」
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)


お弁当の日

 保育園では、普段は給食ですが、たまにお弁当の日が用意されます。お弁当の日はどの子もとても楽しみにしていて、お弁当箱を開けた時の子どもの笑顔は、嬉しさや喜びに満ち溢れています。しかし、朝は毎日戦争のようにバタバタと忙しいお母さんにとって、お弁当の日は準備が大変ですね。
時には、「朝は忙しくて、とてもお弁当を用意する時間などないのに」と嘆くお母さんの声も聞こえてきます。

 ある先生は、「お母さんの忙しい気持ちもわかりますが、子どもたちはとても楽しみで、単にお弁当が美味しいからだけではなく、そこにお母さんの愛情が詰まっているとわかるから嬉しいのでしょうね」と語り、ある日のクラス便りには、「お弁当の日が決まると、その日までに親子のあいだでお弁当を巡っていろいろなコミュニケーションができます。どんなお弁当がいいのか、親子でコミュニケーションをしっかりもって、子どもさんの喜ぶお弁当にしていただきたいですね。もしもお弁当の用意や、お弁当の作り方がわからないなどのことがありましたら、お弁当の作り方のレシピを書いたチラシも用意していますので、参考にしてください」と書かれていました。

 確かに、お母さんは毎日忙しく、帰って大急ぎで夕事の準備、夕食が終わったら子どもたちをお風呂に入れて寝かせてと、子どもたちが寝静まるまで大変でしょう。そこにお弁当の日が来ると、そのための買い物もしなければならないでしょうし、朝の準備も大変でしょう。だから、しょっちゅうお弁当の日というわけにはいきませんが、子どもは「パンダのおにぎり弁当がいい」「ウインナーの入ったお弁当がいい」など、自分の好きなものの入ったお弁当をお母さんに伝え、お母さんも忙しさの中で子どもの喜ぶお弁当を作ってあげようと思う人がほとんどです。

 しかし、いろいろな事情でどうしてもその日はお弁当を用意できない人もおられます。ですから保育者は、そういう場合を想定して、2、3人の子どものお弁当を別に用意しておくことも稀ではなく、お弁当のない子どもがいないように、様々な配慮をしてお弁当の日を迎えるのが普通です。

>②「あー、お弁当おいしかった!」

子どもは保育園で頑張っています
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)

子どもは保育園で頑張っています

 自転車で園庭を何度も何度もぐるぐる回って、お母さんはいまどこまで来たかを繰り返し先生に尋ねるAちゃんを見ると、お母さんを心待ちにしていることがとてもよくわかります。朝は泣いての登園だったようですが、朝、何があったのでしょうか。それでも気持ちが切り替わると、元気に遊びます。でも、いつも楽しいことばかりではありません。友だちとの遊びで思いと思いが衝突してトラブルになることもあります。それを通して、自分にも友だちにもお互いの思いがあることに気づき、それを調整する術を少しずつ身につけていくのです。今日は先生に絵本を読んでもらって気持ちが紛れたのでしょうね。

 それから食事、午睡、午睡起きからおやつと保育園のいつもの生活の流れが続きますが、これも楽しいことばかりではありません。順番のトラブルがあったり、眠れなくて先生にトントンしてもらったり、いろいろあります。そうしてお母さんのお迎えを待つのですが、友たちのお迎えが次々にあって、自分のお迎えがなかなかだと、次第に心細くなってきますね。

 Aちゃんは、今日はお迎えが早かったようですが、その分、お母さんがいつお迎えに来るのか、今か、今かと待っていたのでしょう。そしてやっとお迎えが来た!その時の子どもがどんなに嬉しい気持ちになるか、それを読者のお母さんにも伝えたくて、Aちゃんの一日を紹介してみました。

 お母さんのお迎えを心待ちにしていたのに、お母さんの顔を見ると急に知らん顔をして遊び始める子もいます。それは待ちに待った気持ちの裏返しなのですが、そんな時に「ぐずぐずしないの!」と叱られると、子どもは辛いですね。

 また、今日の素敵な姿を先生からお母さんに伝えてもらうと、はにかんだような嬉しい表情を見せる子もいます。

 どの子も一日を頑張ってすごし、頑張ったことを認めてほしいと思っています。先生が「今日、○○ちゃんはこんな工夫をしてみんなを驚かせたんですよ」と褒めてくれて、お母さんが「そうだったの」と笑顔で認めてくれる…それは子どもにとって一番嬉しいことでしょう。

 お母さんもお仕事で大変でしょうが、子どもはみんな、保育園で一生懸命遊び、頑張ってすごしています。お迎えの折には、そのことをぜひ認めてあげてください。

第16回は12月上旬に更新予定です。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。

子どもは保育園で頑張っています
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)

Aちゃん(3歳児)の一日(Aちゃんの担任の先生が書いた文章から)

 今日、Aちゃんは泣きながらの登園でした。「ママがいい」とお母さんにしがみつき、お母さんもハグをしてから、後ろ髪を引かれる思いで急いで会社に向かわれましたね。あの後、Aちゃんはしばらく私の膝の上にいましたが、そのうちに気持ちが落ち着いてきて、自分のしたい遊びに移っていきました。

 午前中は仲よしのBちゃんと色水で遊びました。ヨモギの葉を擦りおろし器で擦って、とてもきれいな緑色の色水を作って私に見せてくれました。最近はいろいろ考えて工夫ができるようになりましたね。

 その後、Bちゃんがお人形さんを使ってCちゃんとお母さんごっこの遊びを始め、少し遅れてAちゃんもそこに来て、その遊びに入れてといいましたが、Bちゃんに「今、Cちゃんと遊んでいるからダメ」と断られてしまいました。

 何度か「入れて」「ダメ」を繰り返し、悲しくなったAちゃんと目が合うと、Aちゃんが私のところにきて、「ママがいい」と泣き出しました。

 いつもはAちゃんと仲よしのBちゃんが、今日はCちゃんと遊んでいて、そこに入れてもらえない悲しさや悔しさが伝わってきました。そこで私はAちゃんと一緒にBちゃんのところにいって、「Aちゃんも仲間に入れてほしいんだって」と仲介してみたのですが、やはりBちゃんはダメといいます。今日はBちゃんにもBちゃんの思いがあったようです。 そこでAちゃんに、「じゃあ、先生と一緒に絵本読もうか」と提案したら、頷いてくれたので、部屋の隅でAちゃんの好きな絵本を一緒に読み、それでAちゃんは満足してくれたようでした。

 それから食事、午睡の準備、午睡、午睡起き、おやつと続き、その間はいつもと変わらないAちゃんでしたが、おやつの後の様子を見ると、何かいつもと少し違って元気がありません。そして私のところに「ママ、いつお迎えに来る?」と聞いてきました。そういえば、お母さんは「今日はいつもより早くお迎えにくるからね」といって会社に向かわれましたよね。いつもよりお迎えが早いので待ち遠しくて、早くお迎えに来てほしかったのでしょう。そこで、「そうね、今日はもうじきお仕事終わりになるから、お母さん、大急ぎでAちゃんを迎えにこられるよ。先生と一緒に待っていようね」と伝えると、ほっとした様子で園庭に向かいました。

 早いお迎えの方がちらほら見える中、ふと見ると、Aちゃんは園庭で補助付き自転車に乗って漕いでいます。そして私のところにきて、「ママ、もう会社出た?」と聞いてきます。「そうだね、もうそろそろかな」と答え、「ママ、会社出たら電車に乗って、駅に着いたら自転車に乗ってお迎えに来るよ。Aちゃんの自転車と一緒だね」というと、「Aちゃん、自転車に乗っていると、ママも自転車に乗ってお迎えに来るんだよ。
もう電車の駅に着いたかな?」というので、「駅はまだもう少しかな」というと、また自転車を漕いで向こうへ行ってしまいました。

 しばらくして、お迎えの保護者の方にご挨拶をしているところにまたAちゃんが自転車に乗ってきて、「ママ、もう駅に着いた?」と聞くので、「そうだね、もう電車に乗ったと思うよ。もう少しだね」というと、また自転車を漕いで行ってしまい、それからしばらくすると、「ママ、もう○○駅着いた?」と途中の駅を尋ねてきます。
「Aちゃん、○○駅知ってるの?」と訊くと、「知ってるよ、ママと電車に乗ったもん」と答えて、また向こうへ行ってしまいました。

 それからまた何回か尋ねてきて、「もう少しね」といっている間にお母さんのお迎えがありました。お母さんが「お待たせー、Aちゃん元気にしてた?」と笑顔で聞くと、「うん、自転車乗ってママがお迎えに来るの、待ってたよ」と伝え、お母さんにハグしてもらって、ニコニコ顔で一緒に帰っていきました。

 これが今日のAちゃんの一日です。

>②子どもは保育園で頑張っています

お母さんの自己肯定感は?
鯨岡 峻(京都大学名誉教授)

何かに自信がないことは自己肯定感がないことではありません

 何かで自信をなくすと、「自分は自己肯定感がないからだめなのだ」と思い込み、負の循環に陥るお母さん方も見受けられます。子育てに自信のある人はめったにいないでしょうし、生活も対人関係も家計もうまくやれて、何の不満もないような人はまずいないでしょう。うまくいかないことだらけなのが人生です。特に20代後半から30代の子育て期間中は、いろいろなことに自
信をなくしてしまうことがしばしばあります。それをすぐに自己肯定感がないからだと考え、ますます自信をなくしてしまう負のスパイラルに陥っていないでしょうか。

 何かで失敗したり、何かで自信をなくした時、まわりを責めるのではなく、信頼のおける人(夫や友人・知人)に愚痴をいったり、慰めてもらって元気を取り戻したり、自分の中に根を張っている自己肯定感が立ちあがってくるのを待ったりして、「よーし、もう一度」という気持ちになることが大事だと思います。そのためには、自分のまわりに何でも話せるような信頼のおける友人や知人がいること、自分の殻に閉じこもらないことがぜひとも必要になります。

 簡単に自己否定感に苛まれたり、だめだと簡単に諦めたりして落ち込む人は、頼りにできる友人・知人を持っていないことが多く、困難な事態を独りで切り抜けなければと身構えている人が多いように思います。

 もしもお母さんのまわりに頼れる人がいないなら、保育園の先生(担任の先生だけでなく、主任の先生や園長先生)を頼りにしてもよいのではないでしょうか。特に子育ての悩みに関しては、保育園の先生としっかり話し合い、時には家庭の難しい問題を話すなどして、話して気持ちが楽になると、それまで抑え込まれていた自己肯定感がきっと立ちあがってくると思います。

第15回は11月上旬に更新予定です。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。

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