公益社団法人 全国私立保育園連盟

保育

育てることは、なぜ難しいのでしょうか

鯨岡 峻(京都大学名誉教授)

おもちゃ売り場でおもちゃを買う場面から

 おもちゃ売り場でおもちゃを「買う、買わない」を巡って、子どもと押し問答をしたことのあるお母さんは多いと思います。

 ここでも、最終的に買うか買わないかはお母さんが決めることですが、そこに行き着くまでのところで、買ってほしい子どもと、今日は買わないと思っているお母さんとのせめぎ合いがあります。ほしがっている子どもの必死な様子、おもしろそうなおもちゃだし買ってあげてもいいかなというお母さんの思い、そしてお母さんの懐具合によって、今日は買ってあげようと思う日もあれば、この前も買ったから、今日は買わない、ごねても駄目よ、と買ってあげない日もあるでしょう。そのせめぎ合いが子どもを育てることにつながるのです。

 もしも子どもの気持ちには関係なく、子どもに必要なおもちゃは全部自分が計画的に買うとお母さんが決めているなら、子どもは「これがほしい」とはいえなくなってしまうでしょう。「これがほしい」というのは一個の主体として当然してよい主張です。その思いを受けとめながら、しかし、いつもそれを受け入れていたのでは、子どもは買ってもらって当然と、どんどんその欲望をエスカレートさせるだけでしょう。そこに、どこまで子どもの主張を受け入れるのか、どこから先は頑として拒むのかの、難しい線引きがあります。

 よくお母さん方は、その線引きのマニュアルを示してと求めますが、そのようなマニュアルはありえません。そこに子どもの主体としての思いを尊重しながら、お母さんの願いを伝えるという、まさに「養護の働き」と「教育の働き」がせめぎ合う場面が生まれ、これが育てるという営みを難しくしているのです。

 聞き分けのよさを求めすぎるということは、「養護の働き」と「教育の働き」のバランスを後者に傾けさせるということでしょう。そうすれば、お母さんの願いは叶えられるでしょうが、子どもの思いは押し込められてしまいます。そのバランスがいつも難しいから、子どもを育てることはいつも難しさを抱えてしまうのです。

*この連載では、「保護者」という言葉を「お母さん」という言葉に置きかえてすすめていきます。