公益社団法人 全国私立保育園連盟

保育

育てることは、なぜ難しいのでしょうか

鯨岡 峻(京都大学名誉教授)

離乳食の場面から

 私の観察例から一つ引いてみます。6か月の赤ちゃんの離乳食の場面です。

 お腹が空いていたのか、赤ちゃんはお母さんの差しだすスプーンにタイミングよく口を開けて、どんどん離乳食が進んでいました。スプーンを口元に運ぶ→口を開ける→スプーンが口の中に入る、のタイミングが素晴らしく、4か月に始まった離乳食がわずか2か月でこんなにもスムーズに進むのだと感嘆する気持ちで見ていました。

 ところが、ある程度食べたところから、そのタイミングが乱れ始めます。赤ちゃんはベビーラックの足元にある〝ぬいぐるみ〟に興味があるのか、それに気持ちが向かって、お母さんの運ぶスプーンにタイミングよく口を開けなくなってきました。お母さんは「もうマンマいらないの?」と声をかけながらも、スプーンをなおも運びます。赤ちゃんもスプーンをまったく受け入れないわけではなく、思いだしたように口を開けてスプーンを受け入れています。

 ここで、もっと食べさせたいというお母さんの思いと、もういらないという赤ちゃんの思いがぶつかり、そこからは両者の思いと思いがせめぎ合い、最終的に赤ちゃんが顔を背けたところで、お母さんはある程度食べたからいいことにしようと思ったのか、赤ちゃんの口のまわりを拭いて、離乳食は終わりになりました。

 このエピソードで興味深いのは、二人の思いと思いのせめぎ合いの部分です。

 お母さんには「もっと食べてほしい」という願いがあります。しかし、赤ちゃんにも「もういらない」という思いがあります。この時、離乳食を進めるお母さんの育てる営みは、赤ちゃんのいらないという思いを受けとめつつ(養護の働き)、もう少し食べてほしいという自分の願いを伝える(教育の働き)という微妙なせめぎ合いから成り立っています。そこに、育てる営みの難しさが凝縮されています。

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