公益社団法人 全国私立保育園連盟

青年会議

- 真備レポート -

土埃の向こうに

公益社団法人 全国私立保育園連盟青年会議



平成30年7月豪雨と呼ばれる、平成30年6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に広い範囲で記録的な集中豪雨が起こり、河川の氾濫や洪水、土砂災害等をもたらし、多数の死者・行方不明者が出るという災害が発生した。

被災された地域は数多くあるが、青年会議副会長藤田先生の地元である岡山県倉敷市に的を絞り、今回、甚大な被害を受けた真備町の真備かなりや保育園(岡山県倉敷市真備町辻田268-1)を訪れた。



1日目【平成30年8月2日(木)】晴れ

集中豪雨から約一カ月後、岡山県倉敷市に入る。被災された園を訪問するだけでは実はないと考え、実際の被害状況を自分たちの眼で見て確かめ体験するため、まずは災害ボランティアに参加することにした。
参加者は、青年会議執行部の遠藤(副会長・岩手県)・国吉(副会長・沖縄県)・藤田(副会長・岡山県)・柘植(会長・名古屋市)である。

早朝、岡山駅を出て、午前9時30分に倉敷市災害ボランティアセンター(中国職業能力開発大学校・岡山県倉敷市玉島長尾1242-1)に到着。ボランティアセンターへの距離が近づくにつれて、ダンプカーやトラック、自衛隊の車両が目立つようになるが、まだ目に見える範囲での被害は実感できない。ただ、道路は轍に沿って黄土色の土が目立ち、車両が通る度に土埃が空に舞い上がっていく。
大学校の運動場(と思われる)には、無数の車が停車していて、全国のナンバープレートが並ぶ駐車場となっていた

* 倉敷市ボランティアセンター

ボランティアは、チームを組み、基本1チーム5名で行動する。「安全第一」「暑さ・熱中症対策」「自分自身の体調管理」「絶対に無理のないように」と再三注意を受ける。 1チーム5名の構成は、リーダー・タイムキーパー(作業時間の管理)等、私たちのチームには、徳島県から来られた女性が加わった。
体育館でのオリエンテーション後、ボランティアセンターからサテライト(まび記念病院・倉敷市真備町川辺2000-1)へバスで移動する。
ボランティアセンターからサテライトのまび記念病院まで、約15分バスに揺られる。病院に近づくにつれて、街の様子が徐々に変化を見せ、被害が顔を覗かし始める。国道沿いには、廃棄物の山、大小多種多様の生活用品が捨てられ、山積みになって連なっている。家屋は、二階まで黄土色の泥の跡、線が残り、全ての戸や窓が開けられている。道路には、ダンプカーやトラック、パトカーや警察官。
まび記念病院では、病院駐車場にテントが張られ、サテライト(まび記念病院)から更にミニサテライトへ移動する。サテライトからの移動手段は、ボランティアの方の車で、運転する初老の男性に笑顔で「よろしく。私もボランティアです。」と声をかけられる。
車に乗ること数分後、ミニサテライトの神社(うしとら神社)に到着。
ボランティアの受け入れ場所的な体制としては、「ボランティアセンター」⇒「サテライト」⇒「ミニサテライト(複数)」という構成になる。

* うしとら神社の大木

このミニサテライトでは、被災者のニーズに従って現場にボランティアを派遣するための無数の「調査カード」があり、そこに被災者のなまえ・住所・連絡先、手伝ってほしい具体的な内容等が書き込まれていて、それに従ってミニサテライトから手伝いが必要なお宅へ行く。
これを「マッチング」と呼んでいたが、まさに現在進行形の状況やニーズに合わせて効率よくボランティアを派遣するのは大変難しく、少し待つこととなった。
神社の境内の生い茂る木々のお陰で容赦なく照り付ける日差しが遮られ、ほんの少しだが暑さを紛らわせてくれる。暫く待っていると、急に40名以上の高校生のボランティアが来たという情報が入り、私たちは別のミニサテライト(公民館)へ移動することになった。
大学校・病院・神社・公民館と、災害時には公共施設や半公共施設のような、皆が位置を知り、ある程度出入りができ、広さがあり、雨風あるいは陽を少しでも凌げるような場所が拠点になる。
午前10時40分、ミニサテライトの町の公民館に到着。
そこから徒歩15分程度のお宅へ向かい、瓦礫の搬出作業を行う。
この日は、気温が37度程あり、炎天下での作業のため15~20分程作業をし、5~10分の休息を挟むルーティーンで搬出作業を行った。
午後1時30分に作業は終了。再び徒歩でミニサテライト(公民館)に戻り、ミニサテライトから車でサテライト(まび記念病院)へ。サテライトからボランティアセンター(大学校)へバスで戻り、最後に長靴を消毒して、終了となった。

* バスから撮影(真備町)


* バスから撮影(真備町)

* バスから撮影(真備町)

災害から約1カ月経ったこともあり、ボランティアに対するサポート体制がほぼ完全に確立されていたのが非常に印象的であった。
ボランティアセンター・サテライト・ミニサテライトには、多数のボランティアに加えて、全国各地の社会福祉協議会の方や看護師などがいて、被災者とボランティアの橋渡し、情報共有・情報交換を行っていた。
特にボランティアセンターでは、帽子・マスク・軍手・ゴム手袋・ゴーグル・水や塩飴、梅など豊富に用意があり、基本的にはボランティア自身が用意するべきもの(勿論、私たちも持参した)だが、誤解を恐れずに言えば、普段着で出向いても直ぐに参加できると思うぐらいであった。ただ、当然ながら、サテライト、ミニサテライトへと行くにしたがって、物品は激減していく。
ボランティアセンターにいる方たち(勿論この方たちもボランティア)の「お疲れ様でした。」
「ありがとうございました。」の言葉が身にも心にも染みた一日となった。

* まだ泥水が残る(真備町)



2日目【平成30年8月3日(金)】晴れ

真備かなりや保育園訪問。
参加者は、青年会議執行部の遠藤(副会長・岩手県)・国吉(副会長・沖縄県)・藤田(副会長・岡山県)・横山(副会長・宮崎県)・柘植(会長・名古屋市)である。
翌日の早朝、岡山駅を出発して、再び真備へと向かう。途中、真備町内でコンビニエンスストアに拠ると本日再オープンとのこと。国道沿いに捨てられた廃棄物、瓦礫、舞い上がる黄土色の土埃を通り抜けて、真備かなりや保育園に到着した。

保育園の一階は、内装の洗浄・工事中であったが、お忙しい中、小谷理事長にお話を伺った。
集中豪雨時には、保育園の一階の天井を超え二階の床近くまで水が来たため、現在は、二階の部屋を使用して保育を行っていた。
園を再開したのは、今週頭の7月30日(月)からとのこと。
ただし、現在の開園時間は、午前9時~午後5時までで、3歳児以上の子どものみをあずかっている。調理室が一階部分にあるため、給食は提供できず、外部搬入のお弁当。
水は前の週の23日頃に使えようになり、電気は今週から通った。
集中豪雨当日は、大量の雨と、近くの小田川の堤防が複数個所決壊し、一気に水が来て、みるみるうちに一階を超え二階付近まで迫ってきた。
避難指示が出たが、余りの雨量の多さに真備地区約5000軒の方たちは、殆んど避難することなく、迫りくる水に怯えながら家の二階に上がり、足首まで水に浸かりながら夜が明けるまで救助を待った。
この地区のハザードマップによると、河川が氾濫し堤防が決壊した場合、家屋の二階近くまで水が来るとの予測・情報が出されており、今回、図らずともその通りの結果になってしまった。
また、約5000軒の内、水害保険の加入は1割程度とのことで、保育園は何とかなりそうだが、保護者の方が心配……。
現在、9月からの乳児受け入れに向けて動いていて、給食が再開できそうなのが11月からで、今一番必要なものは、9月10月分の乳児用のレトルト食品(瓶等に入っているもの)とのことでした。

* 真備かなりや保育園

* 豪雨の翌日、赤印が真備かなりや保育園(藤田副会長提供)

短く、限られた時間ではあったが、保育園を見学させていただいて、ご自身も被災園、被災者でありながらも、可能な限り保育を再開し、前に進めていこうとする姿に感銘を受けた。 

保育園二階では、一見普段と同じ、いつもの変わらない日常のように子どものたちの笑顔や元気な声が響いている。
が、一旦外に出れば、道路は黄土色に染まり、土埃が舞い上がり、瓦礫・廃棄物の山々、家屋の全ての戸、窓は開け放たれ、一階と二階の間には、泥水の跡が線状に走り、雨水・泥水に浸かった特有の臭気が鼻を刺してくる。
「本当の地獄(のようなもの)は、これからだと思いますよ。」
別れ際、小谷理事長が発した言葉が心から離れない。
何もしなければ、何も起こらない。これから何ができるのか。
前に進み、行動しかない。
私たちは、真備を後にした。

* バスから撮影(真備町)

* 土砂崩れの跡(青く見えるのはブルーシート・真備町)



最後に、今回の訪問を快く受けてくださった真備かなりや保育園の小谷理事長、その理事長と繋いでくれた藤田先生に心より感謝いたします。

レポート:会長 柘植信秀



※以下、浸水後の真備かなりや保育園(写真は青年会議藤田副会長提供)