公益社団法人 全国私立保育園連盟

保育国際貢献の旅手記 Vol.1

首都ルサカホテル

2018年7月15日 07:00-21:00

今日は村への移動日。昨日は結局夜8時に寝て夜3時に起きる。時差ボケというより、体がきっちり日本のままだ。仕事は溜まっているが、孤児院体験がなかなか強烈だったので、忘れないうちに詳細なログを作成することにした。

ひとしきり書いたあとは、ホテルでの朝食。アメリカンブレックファーストのスタイルなのがありがたい。目玉焼き、フレークなど簡単に食べられるものを取り、チェックアウトの準備をする。日本円、持参した300USドルと現地の金クワチャ4万円分ほどをまとめるが、そういえば昨日クワチャの一部を外出するとき出しっぱなしにしていたような・・レストランでいくら使ったかわからないので、計算は合うような合わないような感じだが、たとえ取られたとしても不用心の勉強代と考えるべきだ。何か自分のいい加減さにもやもやする気持ちが残る。ここはザンビア。外国だ。

ムオンバ村へ移動

2018年7月15日 10:00-13:00

10時に友人に迎えにきてもらい、10分ほどバス乗り場まで歩く。こちらのローカルバスにはバス停がない。バスといってもハイエースのようなバンだ。タクシーを停めるように、そこかしこで合図し、満席ならNo、空いていれば乗せる。空いていればというより、人が収納できるならといった方が近い。すし詰めだ。

昨日そんなバスを体験していたため、今日の移動もまたどこかの道まで行くのかと思ったら、意外なことに着いたのはかなり大きなターミナルだった1

入り口には露天が並び、トマトだポテトだと青果が安価に売られていた。友人はポテトを購入し、現地の人へ行き先の確認をやり取りしてバスへと乗り込んだ。まだ自分たちしかいない。最初は2人席で並んでいたが、友人の提案で1人席を前後で取ることにした。

昨日のバスは定員超過するが、今日は1人1席だと教えてくれた。移動距離がまったく分からなかったので少し安心する。それから10分くらいたった頃だろうか、1人また1人とバスに乗り込んできた。定員が満杯になれば出発するシステムらしい。全員が乗り込んだところで出発する、と思いきや補助席を使い始めた。1,2,順番に座るとすると自分の横はこの人が来るだろう。巨大なママに巨大な荷物に3歳くらいの子ども付き。終わった。

私の場所だけ昨日のすし詰め状態のまま、バスがごうごうと音を立てて北に向け走る。日曜の割にはそこそこ道が混んでいる。皆教会帰りだからだろうか。窓をあけるとカーテンがべちべちと顔にあたるので、不器用にまとめてみた。結果棍棒のようにぶんぶん揺れる。リーチの差で自分には届かず一安心。勝った。前に乗っている友人の後頭部に何度も当たりそうになるたび冷や冷やした。なんとか無事そうだ。

1①バスターミナルはLumumbaバスターミナルという場所で始発でした!ルサカ市外近辺にいくバスはあそこからいきます!

途中からは建物の背が低くなった
昨日より快適なバス

やがてそれぞれの停留所で、無理やり降りたり無理やり乗ったりで乗客が入れ替わる。ビッグママから「はい」と自分の子どもを渡された。他の乗客に道を空けるためだが何とも日本と違う所だ。自分も渡されて私の腕の中にいる子どももお互いに突然のことできょとんとしている。目が合って、あ、どうも初めまして、とアイコンタクトした。そんな様子で1時間ほどの移動でムンバ村に到着した。

村の入り口には、車の前半分を切ったモニュメントが鉄塔の上に飾られていた。2周間前に突如現れたらしい2。写真をとって土埃が舞う道を歩いていく。

1台大型ダンプが通過した。友人が、最近この村で店や家が建っていくのが寂しい、と言った。もちろん村の住民にとって発展は喜ばしいことだろうけれども。ここもベッドタウンになっていくのだろうか。自分が住む福岡と太宰府のようなものだと考えると、少し親近感を感じた。

8m幅程度の土の道の左右に田んぼや出来かけの家が並んでいるが、電線が無造作に数本ひかれている。カオスな電線の東南アジアなんかは風情があると思えるが、こんな田園にはあまり電線が似合わない。夕方、きれいな夕焼けと広い空を見ているときにも同じことを思った。

10分ほど歩くと、村の中心部に着く。店が並ぶが、ここ数年で出来た店も何件かあるそうだ。グローセリーショップというか、ローカルな商店といった風だが、小麦粉を扱っているのが意外だ。自分が住むなら、毎日お好み焼きで凌ぎたい。

さらに5分ほど歩いて、友人のドミトリーに到着。広い。高級コテージですね、と言うと苦笑していた。中は塗り壁の年季の入った造りに、現地の織り布チテンゲで彩られ、女性の家らしいポップな感じになっていた。同じJICA隊員から譲り受けたというソファは日本で買えばいい値段がするだろう。外国で家を快適にしていく努力は、自分の少しの経験から見てもかなり大変なことだと思う。友人の逞しさを見た思いがする。女性に逞しいとは失礼な表現だが。

2②トラックの塔ができたのは、2ヶ月前です!

私の部屋を用意してもらい、ここにあるものを自由に使って良いと案内された。リビングで寝るものだと思ったので、個室は意外な贅沢だ。昨日のホテルはコンセントが崩壊していたので、この部分が安定していることが自分的にありがたい。3G電波もなんとか入るし、デジタルキッズ41歳の価値観的にホテルより快適。

バス・トイレは別棟にあるという。トイレが水栓なのが意外だ。バスはお湯をポットで2度沸かして水を足すとちょうど良い風になるそうだ。能古島のサマーキャンプのような、手作りのリゾートか。(ところで、こんな様子で回想していて1日の様子を書き終わるのはいつになるのだろう。今まで旅行で手記を書いたことがなかったから不器用だ。)

1時間ほど自由時間があり、仕事のやり残しを少し行う。帰れば仕事が山積みで自分が苦労するのが目に見えている。成果はそこそこ。泣きながらも徹夜は避けることができるレベル。友人はキッチンでカレーを作っていた。現地の友人宅に持っていくそうだ。

村のメインストリート

校長邸への挨拶

2018年7月15日 13:00-16:00

待ち合わせの時間30分前になったので、外出をする。中学校兼幼稚園の校長先生に挨拶に行く予定だ。このドミトリーは学校のすぐ近くに建っている。校長先生もこのエリアに住んでいて、最近家を建てたそうだが異動はあるようだ。この校長はやり手で、このエリアには欠かせない先生らしく、珍しく10年ほどここにいるらしい。

原っぱになっているグラウンドを抜けて、やぶの中のあぜ道の奥に奥に入っていく。気になって質問をした。結構グラウンドの草が刈り取られていたからだ。手がかかるだろうに。実はこれ、誰か客人でも来ると中学生男子が授業中でも呼び出されて刈り取りを行うらしい。女子は清掃。アメージングザンビアだ。というか、教育的に悪い。友人もこれには怒っていた。

道を歩いていると、遥か遠くから子どもの集団が友人に大声で挨拶する。現地語で定形の挨拶。おはようとこんにちはで挨拶が違うらしいが、微妙に覚えきれず、英語で言うHelloにあたるムリバンジーを多用する。この体験が、ザンビア名物ビクトリア・フォールズのバンジー体験に・・つながらない。ムリ。

なぜかぞろぞろついてくる子どもたち

そのまま歩いていると、後ろから少しずつ子どもたちの声が近づいてきた。退屈凌ぎについてくるらしい。何だか7、8人のパーティとなった。校長の家の場所を聞いてみるが、要領を得ない。友人も2度ほど訪れただけで、道をうろ覚えの様子。

やがてそれらしい家にたどり着いたが、どうやらここは違うようだ。電話をして校長に道を尋ねると、ヤシの木を目印にしろとのこと。ヤシなんて360度そこかしこに生えてます。日本で言えば電柱が目印とな。

仕方ないので、引き返して近くの家で洗濯をしていたお母さんに聞く。何か知っているような知らないような様子で、ついてこいと先導してくれた。怪しい。横にいたお父さんにも聞いてみると、I know I knowといって自転車でついてきてくれた。またパーティが増えた。合計10人の即席旅団だ。5分ほど歩くと、校長が立っていた。先導のお母さん、ちゃんと知ってたんだ。疑ってごめん。

招き入れられた先は、応接室だった。こちらも塗り壁にトタンではあるが立派な屋根がついている。福岡のお土産を渡すと喜んでくれた。彼はとても忙しい人らしい。タンザニア、マダガスカル、ケニア、コンゴ、ルアンダといった外国人を招いたファシリテーションを行うのに今は忙しいとのことだ。彼は来日歴があり、金沢で中学校、小学校、特別支援?のコースを受けたと話した。

正直彼の英語は70%くらいしか理解できず、あやふやな部分もかなりあるが。友人は分かっている様子。やるな。自己紹介で保育園の園長をやっていることを話すと、ザンビアでも幼児教育が大事だと彼が話した。日本では当たり前だが、こちらでそう思っている人がいるのはとても意外だ。半分リップ・サービスだろうが嬉しかった。

彼からの質問に、君の園の他と比べてのremarkable point、秀でた点はあるかと聞かれ、少し詰まってしまった。外国人を納得させるベストな答えが浮かばず、半ば適当に答えた形になった。やはり、場数が足りない。保育園同士、保護者、就職セミナーだけではなく、もっと広い場所で堂々と自分の園を説明できるようにならないと、今も頑張って保育している職員に合わせる顔がないと思った。彼は、特に今は数の学習に力を入れていると言った。

校長宅 確かにヤシの木はあったが・・

そんな簡単なやり取りの後、明日のアポ取りの話をする。彼は9時くらいまでしかここに居られないらしい。ただ、幼稚園の先生たちが来るのは10時らしく、園を見た後でないと、教育のことは話せないだろう。校長とのディスカッションは不調に終わりそうで残念だ。それにしても、10時に先生たちが来るとはどういう意味なのだろう。幼稚園が始まる時間が10時ということなのか?疑問を残したまま、お別れの写真を撮って、帰ることになった。

写真には校長夫婦だけでなく、孫の双子とその姉が一緒に写った。ただでさえ見分けがつかない現地の人たちの、さらに双子は絶望的だ。なんとか見分けるポイントを探す。ふたりともくりくりの髪だが、ちょっと髪が跳ねているのがホープちゃんで、髪がおとなしいのがフェイズちゃんか。友人に伝えると、それ明日変わるよね、とのこと。おっしゃる通りだ。

母親はおでこの広さや若干の背の違いで見分けてるそうだが、単体になるとどちらか分からないそうだ。親も分からないんだ?不思議とクラスの子たちは区別がつくらしい。ちょっと安心した。じっと見ていると大発見。口元に小さな痕がある。これで見分けがつく。明日本人に会えたら驚かせてあげよう。半ば興奮気味に校長にこの大発見を伝えた。先生はきょとんとしていた。家族を見分けるヒントの発見って結構大きなことだと思ったのだが。

門の前まで校長夫妻が送ってくれた。家の横にある巨大なヤシの木を指差し、これを目標にして来れば良いんだよ、と教えてくれた。100mほど歩くと、そのヤシもちょっとした森に隠れた。ヤシ見えないじゃん。やはり建物を目標にしたほうが良さそうだ。まだここは家があるが、JICAの農業隊員たちは家もなく木を目印にするそうだ。携帯もつかえず、google mapも怪しいそうだ。それでも、作業は辺境だが家はルサカ市内にきれいな家を借りていて、それがなんとも羨ましいのだ、と友人はつぶやいた3

3③他の農業隊員の話(誤解されないように)は、ルサカ市内にはいません。それぞれの任地の市のマーケットなどがある中心地域にあるお家に住んでます。そのお家がわりといいお家が多いです(>_<)でもルサカよりもはるかに遠い場所にある町なので、ルサカの中心地に住むような感じではまったくないですが。。(笑)

友人の友人邸 ホームパーティー

2018年7月15日 16:00-21:00

ドミトリーに戻ると、先程作ったカレーを持って村の中心部の近くにある現地の友人の家に行った。大音量で音楽が流れる中、ソファを勧められて座ると、次々に人が入ってくる。ビールを勧められ、昼間からいただく。贅沢だ。友人はビールよりお腹がすいたらしく、ハングリーハングリーと言っていた。

壁にはHappy Birthday6と文字の風船が飾り付けられていて、今日は誕生日パーティで集まったことがわかった。こういう飾り付けは珍しいらしい。ホストの家主は、ルアンダ人4と説明してくれた。同じアフリカでもザンビアからすれば外国人で、外国に住む心情が共通するらしい。時折ザンビア人への愚痴を言う仲のようだ。

パーティ用のバルーン ザンビアでは珍しい

今日のゲストたちもここに住む外国人を集めたようで、初のアフリカローカル料理はザンビアのものでなくルアンダのものとなりそうだ。ビールを飲んで友人と談笑していると、外から次々に椅子が運び込まれていく。20㎡ほどの部屋は小さな机を囲むスタイルで二重に配置されることになった。

男たちが数人机の近くに座り、後ろの列は子どもたちが座っている。別におしゃべりに精を出すわけでもなくただ座っているだけだ。のんびりしているのだろうか。1時間ほどこのままで、退屈凌ぎに横の男と話す。彼は友人から日本語を教わったらしく、もっと話したいからFacebookで繋がりたいと言われる。勿論許可したが、彼は自分の携帯はガラケーでいつも友人からスマホを借りてログインするそうだ。また繋がることのできる知人ができたのは嬉しい。

やがて、パーティが始まった。この頃には人がギチギチに入っていて、ここでもまたすし詰めだ。今日はすし詰めDay。それぞれ自己紹介をする。それでわかったのだが、今日初めて顔合わせをする人たちも多いとのこと。初めて同士が今日を機会に友人となってほしい、と趣旨説明が行われる。変わった趣向だ。今振り返ると、外国人同士寄り添って助け合おう、ということだったのかもしれない。それぞれ現地の言葉で挨拶をし、それを先程FBで繋がった男性が英語に訳す。大したものだ。自分の番になって挨拶をした。反対に現地語に訳してくれた。

4④おそらく日本語表記、ルワンダ(Rwanda)ですね。

自己紹介の後はいよいよ誕生日の息子の登場だ。きっと壁に書かれているように6歳なのだろう。登場のあと、ケーキが目の前に置かれる。その男の子が黒いドレスの子を指名すると5、大人たちが喝采を浴びせた。男の子はちょっと照れている。女の子と一緒にケーキ入刀だ。結婚式か。こういう所で大人たちがスマホで写真やムービーを撮るのは万国共通だ。その後、水鉄砲をプレゼントされ、そこでも記念撮影が行われた。

だが、ここからが違った。子どもが誕生した日、それは同時に親が誕生した日でもある、と男性がスピーチする。別の男性が祝福の歌をあげると、会場の客がユニゾンする。定番の曲のようだ。そして同じケーキが用意され、夫婦で入刀した後、客の皆に振る舞われた。

軽快なテンポでのハッピーバースデーの音楽と共に、パーティが加速していく。ホストパパはペットボトルの水を掛けられている。室内だ。掃除が大変そうだ。掃除はメイドの仕事らしい。自分がメイドなら絶望的な気持ちになるだろう。というかよく考えると、客人がホストの家に行って床をびちゃびちゃにしているのだ。

そんなことはお構いなしに、豪快に水を浴びせている。近くにいたので水がかかってしまった。友人から大丈夫、と心配された。次に小麦粉がパパにかけられた。次にオレンジジュースがかけられた。床はますます悲惨なことになっている。石床にビニールのカーペットでよかった。

ケーキカット

だが、水の勢いが天井まで届いたせいで、天井の裸電球がショートして明かりが消え、薄暗くなった。最初は停電かな、と話していたが、よく見ると近くに電球のガラスの塊が落ちている。危なかった。先程まで大音量でかかっていた音楽も、ノイズが入りくぐもった。不調そうだ。これ多分ホストの物だと思う。ビールも会費を払うわけではなく、ホスト持ちのようなので、かわいそうに色々高くついたパーティになりそうだ。

女性たちは屋外で今日の料理を並べていた。ひとしきり騒いで、落ち着いたところで、ご飯を取りにいくことになった。現地料理が何かと苦手な自分が食べられるものは何だろう。友人のカレーがあった。助かった。前もって現地料理が苦手なことを伝えていたので、配慮してくれたのかもしれない。その他、豆腐のようなものがおいしかったし、インゲンの炒めもののようなものもいけた。意外といけるかもしれない。

5⑤主役の男の子が指名されたのは(というか親達に呼ばれた)お姉ちゃんです!(笑)

食べ終わった後は、外の空気を吸いに行った。3人の集まりから声を掛けられて、一緒に写真を撮る。自分もこの会の趣旨の通り、現地の人たちに打ち解けたかったので嬉しかった。だが、それは難しかった。彼らは英語は話せるが、村の人たちが村のことをローカルな言葉でやり取りしている中に入ることは難しい。自分が率先的に会話の中心になれば違うのだろうが、そこまで相手の邪魔をする気にはなれなかった。元来シャイなんです、私。皆が初対面でも、村の寄り合いにいきなり参加して友人になるのはさすがに無理だった。少し疎外感を覚えたのと、せっかく素晴らしい趣旨だったのに、そのミッションを完了することができなかった自分の貧相なコミュ力に、少し悲しい気持ちになった。5、大人たちが喝采を浴びせた。男の子はちょっと照れている。女の子と一緒にケーキ入刀だ。結婚式か。こういう所で大人たちがスマホで写真やムービーを撮るのは万国共通だ。その後、水鉄砲をプレゼントされ、そこでも記念撮影が行われた。

日が落ちて、最後にこれまた長いスピーチが数人からされる。中締めのようだ。しきりにGod bless youと、主の話が出ていたのが面白い。誰が良い人か悪い人かも不明な状態では、敬虔な人に対しては人としてかなり安心できる気持ちになるということを学んだ。私の考察はこうだ。日本は古来、土着の人たちが、異分子側の努力により少しずつ自分たちの仲間として取り込む。だがそれは特殊なケースで、土地が広く行き来の多い外国では、異質な者が入ってくることの方が多い。だからこそ、宗教心に篤い人に対しては、考え方のフレームへの予測がつくという意味で安心するのだろう。私は元々の生まれが寺なので仏教徒と言えるが、ここで無宗教だと言うと、人としての信頼度が下がりそうな感じを覚えた。

パーティはお終いとなり、星がきれいに見える夜道を帰っていった。友人は暗い道でもすいすいと帰っていく。自分はいつもの癖でスマホのライトで足元を照らしながら帰る。折しもワールドカップの時間で、そこかしこで歓声があがっていた。中学生の寮でも恐らく大人の部屋にあるテレビを観ることを解禁しているのだろう。

40人くらいの子どもが屋内のテレビを窓ごしに見て騒いでいた。今日は眠い。日本時間では1時くらいだろうか。水の元栓の鍵を管理している人もワールドカップを見に行ったらしく、井戸が使えないようだ。風呂は諦めて寝ることにする。アフリカの冬の夜は冷える。