公益社団法人 全国私立保育園連盟

あの日を忘れない 東日本大震災

ルポ*東日本大震災・被災地の保育園 その3

本当は、もっと遊ばせたいし のびのびと散歩をさせてあげたい
…福島県南相馬市・原町聖愛保育園
 【保育通信No.684/2012年4月号】


原町聖愛保育園の全景


■はじめに

 前号では聞いて驚いたこと、見てとても印象に残ったことをランダムに掲載しました。今号からは、訪れた各園に焦点をあわせてお伝えしていきます。
 昨年12月15日は、南相馬市にある原町聖愛保育園と北町保育所に伺いました。両施設とも市中心地から程近い地点にあり、海岸からは約8㎞の場所に位置しています。福島第一原子力発電所からは半径20~30㎞の地点です。この地域は、福島原発事故発生後4月22日に緊急時避難準備区域と政府から設定され、9月30日にその設定が解除されるまでの間は子どもや妊婦、要介護者や入院患者はその地に立ち入りができなくなりました。つまり、公にその間は保育事業をすることができなくなってしまったのです。そして、指定解除後も放射能や減ってしまった園児に頭を悩まされ続けています。そのような状況で、地震発生後から現在に至るまでの経過や苦悩、苦悶をお聞きしました。
 15日午後1時過ぎ頃、最初の訪問施設である原町聖愛保育園(社会福祉法人ちいろば会)に到着。正門から玄関、事務室へと通る途中、下駄箱の前と事務室の出入口にB4~A3判大の粘着板のようなものがありました。「害虫駆除用?」と不思議に思い聞いてみると、「外から持ち込んだ砂をできるだけ室内に持ち込まないように、一度これを踏んでから中に入る」とのことでした。つまり、放射性物質が室内に入ることを極力避けるためなのだそうです。
 さっそく、園長の遠藤美保子先生にお話をお聞きしました。


福島第一原発からの位置

■「事業としての保育」が再開できない

/地震発生直後からの経過を教えてください。
遠藤園長/3月11日、南相馬市は震度6弱の地震に襲われました。沿岸部ではないので津波被害はありませんでしたが、地震により棚等の荷物はかなり散乱しました。ただ、建物の損傷は軽微だったので荷物は翌日に片づければいいと判断し、当日は職員を帰宅させました。
 翌日12日、電気・ガス・水道は問題なく使えたので保育を行う予定でしたが、登園したのは1組の親子だけでした。そのため、「今日は、○○ちゃん一人だけ」と保護者に話したら、連れて帰りました。その後は、園内の片づけや炊き出しを行っていました。
 そうこうしている15日の午前11時、福島原発から半径20~30㎞圏内に屋内退避指示が出て、安全が確保されるまで無期限での休園を余儀なくされてしまいました(地震発生当日・11日午後9時23分には半径3㎞圏内に避難指示、12日午前5時44分には半径10㎞圏内に避難指示、同日午後6時25分には20㎞圏内に避難指示が出されていた)。
 私たち職員は、3月27日まで各々の判断で避難等の行動をしていましたが、28日からは園として避難した家庭の安否確認を随時行いました。
 そうしているうち、市外に避難していた家庭が4月10日過ぎ頃から少しずつですが戻り始めてきていることがわかってきました。そこで、戻ってきた園児の家庭訪問を4月18日より開始しました。その訪問活動によって、当時100名在籍していた園児のうち20名が南相馬市にいることがわかりました。
 また、いろいろな問題があることもわかりました。それは、子どもが避難先で過食や嘔吐を繰り返す、円形脱毛症になる、手や足を噛む、オムツをしていなかった子がオムツに戻ってしまう、夜泣きをする、歩いていた子が歩かなくなる、避難先で外出しようとすると大声で泣き叫ぶなどという症状が出てきているということでした。また、親も午後になってもパジャマのままですごしていたりという家庭もありました。
 そのような状況がわかったので、私たちは「このままではいけない。なんとしても保育を再開しなければ」と話し合い、市へその意向を申し入れました。ただ口だけで伝えたのではわかってもらえないと思い、子ども100名分の状況とその連絡日、連絡者を詳細に記載した資料を作成し、提出しました。
 しかし、4月22日に緊急時避難準備区域に設定されてしまったため、私たちがどんなに資料をつくってお願いしても、「保育を事業として行うことは絶対してはいけない」という回答しか得られませんでした。子どもたちを放射能から守るという意味では仕方がないのは理解できるのですが、本当にこの設定は私たちを縛り、苦しめました。
 私たちは、「事業としての保育」が再開できないのなら、なんとか子どもたちのためにできる方法はないだろうかと頭を絞りました。考えついた結論は、施設を地域の子どもたちに開放したらどうかということでした。
 そう考えた私たちは、4月25日から保育園の施設を無料開放し、ボランティア活動ということで避難していない子どもや避難先から帰ってきている子どもたちを受け入れ始めました。また同時に、親向けのサロンも始めました。このサロンでは、お母さんたち自身が体験した被災のことを互いに涙ぐみながら話をしていました。
 ところが、市は「5月6日に30㎞圏外で公立保育園を再開し、民間保育園の園児も預るので私立保育園の先生は休んでください」といってきました。しかし、『新しい場所での生活や見知らぬ先生がいるという環境では不安だ』という声が北町保育所やよつば保育園からあがり、『30㎞圏外で3園合同で保育を行わないか』という声をかけられました。
 そこで5月6日より、30㎞圏外の鹿島区寺内地区に公民館をお借りして、民間保育園3園合同で臨時保育を開始しました。名前は「なかよし保育園」と決め、33名でスタートしました。ただ、公民館は畳の小さい部屋しかなく、またいろいろな事情で戻ってくる人がいて、子どもの数も増えてきてこの場所だけでは狭くなってきたので、原町聖愛保育園のみ鹿島区江垂地区に施設を借りて、6月27日に分園という形で保育を始めました(子ども15名)。
 しかし、「なかよし保育園」の場所的関係もあって、通園できない子どもたちもいたため、原町区二見町地区にある原町聖愛保育園での無料開放は7月29日まで続けましたが、それから徐々に就労する保護者が増えてきたのに伴い、利用者も増えてきてボランティアといえる状態ではなくなってきたことや、原町のほうの利用者は1人、2人になってきたため、原町地区の施設無料開放は終了しました。
 



職員、保護者、ボランティアによって、保育園の屋内外をすべて除染した

 
 
 
■屋内外の除染作業を開始 

 この頃、市が「8、9月は除染強化月間」と定めたのに伴い、保育園も屋内外の除染作業を開始しました。この除染作業はすべて職員や保護者、ボランティアによって行いました。
 鉄製の固定遊具は、錆に付着した放射能を浮きあがらせるためにトイレ掃除用の酸性洗剤をキッチンペーパーに含ませ、それを遊具に巻きつけてさらにその上に食品用ラップフィルムを巻き、一晩おいてからそれらを外して水洗し、乾いたらペンキを塗る、という作業を続けました。繊維強化プラスティック製の遊具も同様に、すべて行いました。
 建物については、外側は高圧洗浄機で洗い流しました。室内はハタキなどで叩くと空気中に埃が舞ってしまうので、クエン酸を溶かした水にひたした雑巾で拭き掃除をしました。また、玄関等出入りが頻繁にある箇所の板の継ぎ目などは、歯ブラシを使って洗ってから雑巾で拭きました。
 この作業で、鉄製や繊維強化プラスティックなどの遊具の放射線量は下がったのですが、木製のものはこの方法での除染作業では線量が下がりにくかったので、試しに2、3㎜表面を削ってみると線量が下がりました。しかし、乳児が利用するウッドデッキ等は処分してしまいました。
 樹木は1本1本全部線量を測り、高い数値のものは根っこから切り倒し、そうでないものは高圧洗浄をしました。園庭の土は数値が低くなるまで表土を削って新しい土に入れ替えました。発生した汚染土は保管場所がないため、園庭の隅を深く掘り下げて特殊なシートで覆って埋めました。しかし今後、市が回収するといっていますがどうなるかはわかりません。そして、園庭砂埃の飛散防止のために新しい芝を植えました。
 そうしているところに緊急時避難準備区域設定解除が9月30日に発表され、保育することが可能となりました。除染作業も10月3日に終了したので、開催できなかった2010年度卒園式を10月9日に行い、翌々日の11日より園児35名で保育園を再開しました。その後、園児は45名となり現在に至っています。

/現在と除染前の放射線量はどれくらいでしたか?
遠藤園長/今は毎日決まった時間に測定しています。全部で14か所くらいなので場所によって数値は変わってきますが、だいたい0・1~0・15μsvで、汚染土を埋めた箇所は高さ1㎝の所で0・2μsvです。
 しかし高い数値を示す場所があり、園の施設外にある駐車場は除染をしていないために0・35~0・36μsv。門から玄関に敷かれているインターロッキング(コンクリート製)は0・5~0・63μsvで、どんなに除染しても下がらないので表面を削ることを検討しています。
 除染前の数値は、正確に測定できる機械がなくて、それが手に入ってから測り出したのが6月です。これも箇所によって違いますが1~1・2μsvありました。因みに、除染の際に出たゴミを集めた袋を測定したら43μsvを計測しました。
外遊びは1日30分を限度に

/外遊びはどうしていますか?
遠藤園長/東京大学の先生には「空気中のセシウムはほとんど存在しないから、時間の制限はしなくてよい」といわれていますが、念のため1日30分を限度に帽子とマスクを着用させて、固定遊具か縄跳び、ボールかマラソンで遊ばせています。屋内に入る時は全身の埃をしっかり払ってから入るようにしています。
 本当は、もっと遊ばせたいし、のびのびと散歩をさせてあげたいのですが…。

/給食材料はどのように仕入れていますか?
遠藤園長/野菜は教会関係や千葉県組織の青年部の方の協力を得て県外から送ってもらったり、市の救援物資を分けてもらったりしていて、牛乳や肉は業者から仕入れています。足りなくなると近くのスーパーで調達しますが、内心大丈夫かどうか心配です。このような状況の中で、今後どのように材料を確保していくかを考えていかないといけません。

 


現在も毎日、園内の放射線量を測定し、記録し続けている


■職員の処遇保障

/一時的に保育事業を行うことができなかったわけですが、経営的(運営費の状況など)にはどのようにされていましたか?
遠藤園長/運営費に関しては、今回の大震災にあたり何らかの形で支援業務にあたっている園に人件費相当分については支弁する旨の通達が厚生労働省より3月末に出されていました。ただ、具体的にどれだけ支弁するかが示されたのが7月です。それを具体的に事務レベルで計算するにはどうしたらいいかを市に問い合わせたところ、前年度の運営費に対して現在何らかの支援業務に従事している職員割合で支弁するとの回答を得ました。また、子どもに対する生活費分は人数分支弁する旨の回答も得ました。ただ、その職員割合を出す際の小数点の扱い方について、県と市と我々現場との意思疎通がうまくいかなかったためなのか二転三転してしまい、全私保連からいただいた義援金を使っても単年度の赤字は確実なのに、つい3日前にも140万円位返金してほしいといわれてしまいました。そんな中でも、支援業務にあたっている職員に対してだけは何とか処遇保障はできました。

/除染の費用はどうなっていますか?
遠藤園長/除染と認められて補助の対象となるのは、表土の入れ替えと高圧洗浄にかかる費用です。芝生の入れ替えははっきりとはわかりませんが、一応申請しようと思っています。樹木の剪定とコンクリートを削ることは、今現在は除染と認められていません。



南相馬市放射線量率マップの前で語る遠藤園長

■私たちができること…

/今後の展望は?
遠藤園長/(数秒間無言の後)放射能のことは20、30年で解決できる問題ではありません。そういう状況で赤ちゃんがこの地で誕生するかというと期待できるものではないのです。経営についてはまったくわかりません。
 では、私たちができることは何か?と考えると、小さなことですが、今いる子どもたちに将来を託し、大切に丁寧に保育すること。また、今は「あれ触ってはダメ、これ触ってはダメ、ここ座ってはダメ、そこに行ってはダメ」ばかりの状況ですが、今の瞬間は今しかないわけですから、できるだけ普通にすること。
 そして、子どもたちには積極的に生きていく人間になってほしい、こういう状況だからこそ逞しく育ってほしいと願っています。

 原町聖愛保育園の皆様、ありがとうございました。

(城戸久夫・片岡敬樹/全私保連広報部)